electrongirl

ゆるく、ゆるーくありたいものです

合同会社elegirl代表、岡崎龍夫です。
大学生だった2004年から20年以上つけている思索の記録です。
未来の自分に手紙を書くつもりで書き溜めているため、それほど一般性はありません。

240204


変容を楽しむこと、
変質をよろこぶこと、
変化を受け入れること。

そこに固執しないこと。

同時に
変容に抗うこと、
変質に逆らうこと、
変化を跳ね除けること。

あらゆる潮流に呑まれないこと。
これらは背反しない。

流体の呼吸で
幽体の歩行で

「DJやろうと思うんだ。名前を考えてくれないか」
「目標はどこですか?」
「うーん、でかいフェスに出るとか全く興味ないからな。教育テレビに出たいな」
「じゃあ平仮名の、子どもにも親しみやすい名前がいいですね」
「なるほど」
「岡崎さんって正体不明で、神出鬼没なところあるから『おばけ』でどうでしょう」
「他にもいそうだし、怖がられそうだ」
「じゃあ『やさしい』をつけましょう。いいやつではあるんだぞってことで」
「DJやさしいおばけ。いいかも」

「やさしい」を自分で標榜するのは恐縮だが、名前なんて「勇気」みたく、そうなりたい、そうありたいでつけるもんだし。

それから、沢山の音楽を聴いた。その音楽を背景に、歌ったり、踊ったり、酩酊したり、恋をしたり、神を感じたり。
世界には色々な文化があることがわかった。
その膨大な文化の広がりを想像した時、どうしてもその広大さを確かめたくてたまらなくなった。俺も、あんたらの文脈でそれを楽しみたい!
気づいたら異国にいた。

おばけになって15年が経つ。いまでは割と呼ばれている。いつか本当に、生涯を全うするとき、そうあればいいと思っている。

眠れなくて、昔聴いてた音楽を聞き直していた。夜の深淵に引き摺り込んでくれる音楽が好きだった。布団を水中にして、夢を見たんだか、見てないんだか、不明瞭なまま朝を迎えた。

livedoorブログから別のプラットフォームにブログを移設しようとして失敗しました。
まず、自分の会社のコーポレートサイトに移設したけど日記の内容が会社と関係なさすぎてカオスになりました。
そこで、noteに移設をしましたが、投稿日時変更ができないという致命的な仕様に心が折れました。
よく考えてみたらこのlivedoorブログは2003年くらいに開設したはずで、20年続けてるってウケる。
20歳くらいの文章はあまりに小便くさくて読むに耐えないけれど、いつか読み返して笑おうと思う。
ただいま。

非通知の電話で起こされる。
「警視庁捜査2課です。キャッシュカードの偽造を行っていた犯人が逮捕され、そちらの名義のカードが押収されました。現在マネーロンダリングに加担した容疑がかかっているので捜査にご協力をお願いします」

「容疑」と聞いてさすがにビビる。
とりあえず話を聞いてると俺の身元確認になった。押収されたカードの住所は「東京都エトウ区」のものらしい。

「『江東区』が読めない警察職員いるんですか?」
「すみません。苦手な地域なので読み間違えました」
「苦手地域が東京?」
「愛知なので」
「警視庁捜査2課は愛知にあるんですか?」

確かに愛知には江東(エトウ)町があるが。

「こちらは警視庁から委託されている会社になります」
「犯罪捜査は外注しないだろ。あと、どことなくイントネーションが怪しいんですよね。失礼ですが日本人ですか?」
「そうですよ」
「一回切ります。10分後に掛け直してください」

その間に警察に電話して確認すると
「警察職員が非通知でかけることはない。おそらく特殊詐欺」とのこと。
10分後の再架電もなかった。

皆様お気をつけ下さい。

何度めかの引っ越し。3年住んだ街を去る。
寂しがってくれる人がいっぱいいる、すなわち俺も寂しい。
飲んでるうちに迎える夜明けが好きだった。夏の朝は青白くて青梅街道でさえも神秘的だ。思えば、エモい夜もあった。
「住めば都」というが、快適というのは環境に与えられるものではなく、自ら改善しにいく脚力が前提に要ると思う。それさえあればほとんどの町は都だ。「生きていてよかった」と思える日に出会えたら「人生勝ち組」ってことでいいと思う。この街でも大勝利だったし、次の街でもきっと勝つ。

家を変え、街を変え、成り行きに導かれて、また次の季節に差し掛かる。
退去は脱皮に似ている。これまで得てきたものと思いを、捨て去ったり引き継いだりする度に洗練されて身軽になって行けたらいい。

昨今の脳科学において、自由意志は決断と行動の0.2秒間だけ存在するらしいことがわかった。
つまりその瞬間以外の我々は装置である。
どのように生きてもスピノザの石って、なんかやりきれないものもあるけど、飛んでるならまあマシ。0.2秒の脚力でまた進もう。

クリスマス終わってから味覚が辛くなった。
「喉が痛えな」と気づいた時には悪寒もあった。
「風邪か? 帰宅したら暖かくしねえと」と思って会計を済ませると、帰宅中の道で吐いた。
もうとっくに引いていた。

病院へ行くとコロナとインフルは陰性だった。
医者は「ウイルス性の風邪だ」といった。大人しく処方された薬と水分をとって寝るだけの数日を過ごした。

熱が引かない。むしろあがる。
なんかがおかしい。もう一度病院に行こうと思ったのが12月30日の19時。タクシー迎車であいている病院に駆け込む。しっかりインフルをくらっていた。
インフルは発症して数日経たないと陽性反応出ないらしい。完全にやられた。
朦朧としながら年の瀬の新宿を歩く。処方箋対応の薬局を探すためだ。
生まれて初めてかかるインフル。想像以上にきつい。生まれて初めてキメる薬が必要だった。そこからの記憶はあんまりない。

水分補給と睡眠と検温をずっと繰り返す。
眠れない時はスマホで読書。
正月はしばらく出歩けそうにない。
久々に堪える年末年始だ。

1週間ほど寝込んでようやく熱が引いた。溜まりまくった洗濯と掃除だ。
数日振りの食事はまだ完璧に美味しいとは言えない。
山積みのタスク。
そして、引っ越し準備。

もともと「政権交代はバシバシやった方がいい」という思想なので野党にしか投票したことないし、安倍さんも岸田さんも好きではない。
汚職なんてもってのほかだし、増税もイカれてると思ってる。

バラマキについて
ただ、途上国とウクライナへのばら撒きはどの政党であってもやらなきゃいけない。そもそも日本の途上国支援の多くは貸付で、返済額で世界一儲けてる。そして世界中がODA増加させてる現況で、バラ撒き辞めたらそれこそ円安まっしぐらだ。

原発について
原発に関しては廃絶は資源国じゃない限り厳しい。原発全部止めて電気代爆上がりなんて絶対やだ。むしろリスクのある環境で、ものすごく強い原発を作ることでそれが売れる。今必要なのは原発技術への投資だと思っている。

その他
憲法改正については、普通にやだ。
なめんなって思う。防衛費拡張は不要。ただし、台湾有事において動きやすい体制は整えておいてほしい。

自民党が与党である以上投票することはないが、
必要なのは政党の悪い政策をこき下ろすことよりも、嫌いな政党の共感できる部分を探すところ、或いは支持政党を疑うところにあると思う。

AIで自分の写真を学習させ、ジェントルマンな俺を作る、という実験。カイゼル髭こそないものの、だいぶ近づいた気がする。
この俺のデータセットに、紳士の格好をさせたり裸踊りをさせたり、宇宙人と戦わせたりが可能。
写真20枚あれば俺の知らない世界線の俺を作れる。

ということは、いよいよネットに写真をアップできない時代になる。写真が20枚あれば、その人物のフルヌードも惨殺死体もつくれる。すでに橋本環奈だの広末涼子などのデータセットはネット場に落ちててギークのおもちゃだ。おぞましいな。
ジブリの画像を学習させれば誰でも簡単にジブリのタッチでグラフィックを生成できたりもする。
そんなふうにAI生成によって、著作権と肖像権の観念が乱れまくる中でどんなふうになるか予測。

予測1) マーキング
AI生成画像には「AIで生成した」というマークをつけることが義務化され、怠った場合は罰金という規則が敷かれる。
問題は取り締まる際の判別方法だが、これもAIで解析する。表示義務違反の容疑をかけられた画像は作成方法を動画などで明示する必要がある。

予測2) ビジネス化
複製や購入者以外の利用を認めない前提で、芸能人の顔や身体のデータセットが販売されるようになる。

予測3) 価値の変化
AI生成しやすい、テンプレ化した作品の価値がなくなる。
異世界転生ものとか。LO-FIヒップホップとか。エキセントリックで特異性の強い作品に価値が集中する。あるいはNFTでの所持の限定性の価値が上がる。

生成された画像、加工された実像、歪曲される情報。
世界の虚構性は高まってきている。

宝くじの期待値は1枚150円程度に調整される。
つまり損する。それでも「買わないと当たることはない」のは確か。

パチンコは統計として「1時間あたり1500円を消費する」ように設定されている。つまり損する。それでも「やらないと勝ちはない」のは確か。宝くじより、台を選択できたり流れを確認できる点で多少のコントロールができる点でまだいい。

起業や開業は、相当に運まかせないちかばちか経営をしない限り利益が出る。「いくら期待できるか」という期待値じゃなく「いくら稼げるか」の収益性を計算する。「150円しか期待できないものを300円で買う」ではなく「150円のコストのものを300円で売る」という思考になる。どちらが稼げるかという話だ。

会社を作ろうとしたとき散々「独立はやめとけ」とか「起業?こわ」とか言われたが、こんなもんパチンコとか宝くじより全然安全な遊びだ。「やらないと勝ちはない」ってことは重々承知だったら稼げる確率が高いことやった方がいい。

期待値や収益性よりもエントリーコストの方に目が行きがちということなんだろう。

「勉学のために大学行くなんて貴族の遊びかよ」
っていうSNSの投稿を見かけたので、投稿に対して「大した市場価値にもならない進学こそ貴族の遊びで、しっかり根付いた教養はちゃんと価値になるのでは」っていう持論を述べたら、ちゃんとブロックされた。

勉強してない人は弁証を放棄するんだなって思ったが俺は大学中退。




義務教育を頑張る理由に「学歴があるとなにかといい」しか回答がない親世代の功罪がある。

国語は論理や情緒を学ぶ。
社会はそれが集団になった場合を学ぶ。
社会と理科で生活の裏側を支える仕組みを学び、数学は論理を積み重ねる多段思考の組み立て方を学ぶ。英語はさらにそれらの教養を拡張させる糸口になる。

獲得した教養をパズルのように組み合わせることで、自分なりの生活と人生が設計できる。

生きづらかったら本を読め。
本を読んだら旅に出ろ。
旅の最中に本を読め。
そうでもしないと心も頭も凝り固まる。

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