electrongirl

ゆるく、ゆるーくありたいものです

合同会社elegirl代表、岡崎龍夫です。
大学生だった2004年から20年以上つけている思索の記録です。
未来の自分に手紙を書くつもりで書き溜めているため、それほど一般性はありません。

忙しくしていた、ら、もう7月下旬。
「うまくいっていない忙しさ」と「望ましい忙しさ」の2つがあって、それでいうと前者寄りだ。
このワークスタイルでのやり方の限界がきていて、「仕事の仕方」を再検証する局面だ。
8月の決算でうまいことスイッチできたらいい。




コロナを経たこれからの社会にどういうことが起こるか、ということを考える。

1、クリエイティブ層とオペレーティブ層の所得格差が顕著になる。

「エンジニアになってフリーランスデビュー」みたいな広告をよく見かけるようになったが、エンジニアになっても稼げない人は稼げない。思うに社会人の能力には3つのレイヤーがある。

A 言われたタスクに対処できる
B 事業のために自走できる
C 0から1を創れる

Cの人材を生み出そうとどの企業も躍起になっているが、こんなもんカリキュラムで育成するのが甚だ無理だ。Cの人材はそもそも教育を受けるのが苦手な突然変異で、育成するためにはせめて小学校の教育から見直す必要がある。とはいえ、Bの能力があればそこそこの収入になる。自分は0から1を作るのつくづく不得手だなーと、栄之進を見ていると痛感するけれどせめて2を3にする役割にいたい。
「言われたタスクを処理できない」ある種の弱者が置いてけぼりになる、それくらい余裕のない時代が来るのかと思うとハラハラする。

2、頭の硬い人が生きづらくなる。

パワハラや性差別、多様性への不寛容は批判の的になる。面白いもので「俺はちゃんと理解しているぜ」という人ほど陥っている。聞く耳を持たない人はどんどん取り残されて孤立する。
コロナに対して、ワクチンに対して、オリンピックに対してのスタンスを問われるその都度分断が起こるけれど、大事なことは対岸の人を弾劾せずに折り合いをつける能力だ。俺の嫌いな「べき」という言葉はどんどん弱体化していくのではないかと踏んでいる。白と黒をつける能力よりも灰色を見つける能力が価値だ。そのためには「老いも若きも多弁であれ」東京事変が歌っているように、多弁にならざるをえないのかもしれない。

3、体験と判断の価値が大きくなる

90年代の情報の価値は大きかった。メディアはどこも大儲けしていた。
30年経った今情報それ自体に価値はなく、情報の処理能力が誰しもに問われている。
情報処理能力は何を以って培われるかといえば「情報量」だ。10を知っている人間より100を知っている人間のほうが処理精度は高い。つまり情報量(教養)がより尊ばれる世の中になると思う。そして、体験がもたらす情報量は書籍よりも大きく、判断の精度は豊富な人生経験に基づく。そして「価値のある体験」すなわち「感動」なのだと思う。
感動の数だけ人生に価値がつく。これはコロナ以前も同じことだけど。




もちろんコロナは望ましくない厄災だ。
ただ色々な構造の矛盾が浮き彫りになったり。いくつかが最適化されたことは価値だと思いたい。
問題だらけの世界と国家だけれど、この現在はつまり先人の描いた未来で、自分と家族の分のスペースくらいは塗りつぶされないよう確保したい。結局「この疫病から何を学ぶか、この絶望でなにを描くか」しかない。その獲得や創出が先に述べたこれからの価値の指標だ。





休まないけど夏休みだ。縁側で昼間からビール飲んで将棋さしたいな。

一年前の日記。

>10時から19時まで作業をする。夕食は20時頃、22時に就寝。
>仕事の最中はラジオがわりにYouTubeを再生して休憩中はQuoraあるいは将棋を指す。
>SNSを開く時間が多くなった。

違いと言えば、夕食が19時台になったことと、就寝が26時になったこと。
将棋は中飛車だった戦法が四間飛車になったという点。

取り立てて書くことは何もない。
粛々とやるべき事をやっている。
しがらみはあるけれど、しがらみがあるという状態がすでにいつも通りなので"だからどうした"という感じ。

現状は変えようと思えば変わる。だからしんどくない。
現況が嫌になったら変え方を画策するだけだ。
逆にいうと、現況にしんどさを感じているということは変え方が画策できていないということなのかもしれない。

もうずいぶん前から次次世代にすべらない話を提供しようと生きている。
孫の代をエピソードトークで笑わせる。そういう人生がいい。

東京に引っ越した。何度目かの上京。帰京というべきか。
何度目かのよろしく。

引越した中野はとにかく利便性がやばい。これまで新宿に行って帰ってすると3時間かかっていたのが往復30分で済む。徒歩でも行ける。そして外食の選択肢が多い。あろうことか徒歩2分の場所にスーパーも新設された。家賃は高くなり部屋も狭くなったが、時間ならしこたま買えそう。

犬も歩けば棒に当たるという諺が好きだ。
動いてみたら何かが起こると思っている。
東京出たら何か起こるだろ、と思ってた矢先に栄之進から「うち(株式会社スペースノイドカンパニー)に入らねー?」というお声がかかった。ちょうど38歳の誕生日の深夜。

そのお誘いの導入は「ここでお前にワンパン食らわせたいんだけど...」だ。
なんだそりゃ
だけどその「なんだそりゃ」がなんかなのだと思ったので迷うことなく応じた。

何度目かの合流。帰郷というほど後ろ向きじゃないか。
何度目かのよろしく。

3年半住んだ南柏から引越し。

入居した当時「辺鄙な街に来てしまったなあ」という印象を多少覚えたものの、渋谷まで片道1時間半、往復3時間の電車にはすぐに慣れ、充実した読書時間や将棋時間になった。

休日の夕景が好きだった。
紫に群青にグラデーションする空がとても広くて、上等な風呂敷に生活がくるまれているようだった。

いつものデブ柴とすれ違うとうれしくなる。
静かな夜の晩酌はささやかな贅沢。
新婚の生活設計をするには十分な物件で、隣の部屋が売りに出された時は「購入」の2文字がよぎった。この家でこのまま老いていくのは、それはそれで一つのしあわせなんだろうな。
それくらいいい街のいい物件だった。

そんな安寧を、理由もなく一旦手放してみる。
なんかおもしれーことにならねーかな、と。
コロナ禍の自粛生活でディフェンシブになった分攻めたいから。
まだまだやりたいこともいっぱいあるから。
つまり「なんとなく」。
そろそろ転調させねーと旋律もだれる、そんな感じ。

次は中野(サブカルの魔都)に引っ越し。
大概の街は住めば都で、そうならないとしたら自分の生活設計能力の問題だと思う。向上心さえあれば大丈夫なはず。

仲良くなってくれた友人諸氏はまた会いましょう!
実は多忙で挨拶回りできないんです。来月改めて伺います。

中年になっても春はなんかどきどきする。
いい歳こいてもそんなんでいいと思う。

sky

徹夜作業が続いた。

新しく普及したSNS(clubhouse)は画面を見ないでいい点で深夜作業と相性がいい。
3年前にバーで隣に座った人、一緒に人狼やった人、10年前にクラブで会った子なんかと再会しては驚いてる。
今や売れっ子になってしまった伊藤栄之進、未だにブレない小劇場俳優の清水洋介と話す。栄之進の「喫煙所みたいなSNS」というのは的確な表現だと思う。「俺も一本吸おうかいな」と始まる感覚。

気づけばフリーランス8年目。
ひいひい言いながらもなんとかなってる。海外移住の計画もコロナでぽしゃって、月末から中野に引っ越す。
どうせまだしばらく日本にいるならまたなんかやってみようと思う。新しく別に会社でも始めてみようかなとか、そんな気分。

人生は暇つぶし。
夏休みのようなもので意味は特にない。暇つぶすために恋愛して結婚して勉強して仕事して、情熱を持つ対象に血道を上げる。
そんなことを言うと「人生が暇つぶしとはなんて言い草だ」とか、まるでロジックを理解できない知能低い人がいるから驚く。ちゃんと理解してほしいから何度だって言う。
人生は暇つぶし、暇は感動を以ってつぶす。

10年くらいそんなことを言って過ごしてたら、偶然ひろゆきが同じことを言ってる動画を見つけた。

https://youtu.be/ggeCZayxJDc

楽しく生きるために大事なこと。

楽しく生きるために腹を括ること。
愉快な人の側にいること。
不快な人の側にいないこと。
得意なもので勝負すること。
苦手なもので勝負しないこと。
全ての決断を英断だと思うこと。
全ての成り行きが思し召しだと思うこと。

オイルパスタを普通につくるのも飽きたので菜の花をペーストにしてみた。これも暇つぶし活動。なるほど。次はサーモンを遭わせてみようと、暇つぶしは延々と続く。

99C99140-BC2E-45EB-88C7-0F58D9A97074

ヤニス・バルファキス著「父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話」という本を読んでいる。市場の本質は「農耕によって発生した余剰」という視点から経済を紐解いている。
市場の本質は「農耕によって発生した余剰である」という視点から経済を紐解いていて面白い。タイトルにある通りとんでもなくわかりやすい。なぜイギリスはオーストラリアを侵略したのか?(オーストラリアに大国ができてユーラシア大陸を侵略することはなぜなかったのか?)という問いに対する回答が「大陸の位置と形」という話が目からウロコだった。




ユヴァル・ノア・ハラリ「サピエンス全史」でも農耕を創出したことにより人々は穀物の奴隷となったという記述がある。農耕によって人類は発展し地球を支配したように見えるが、その人類を支配して繁栄した種は実は小麦だという。

サピエンス全史 上下合本版 文明の構造と人類の幸福
ユヴァル・ノア・ハラリ
河出書房新社
2016-09-16



つまるところ人間の文化は飢えとの戦いだ。
当時より社会は複雑化して経済的な飢えは多少解消されたのかもしれない。
けれど処理する情報量の増大で欲求も増大した結果、精神的な飢餓がさまざまな形で表出した、というのは自分の肌感覚だ。

人生を幸福に生きるカギは経済と精神のコントロールだと言われる。
足るを知ることで膨張する欲望を制御しなくてはいけないと。それは真だと思う。
けれど、足るを知る尊さの対局に、足らないことの価値もあって、飢えは確かに侵略を生んだが、発展も生んだ。
必要なのはつまり「正しく飢える」ということなのだと思う。
それはなんとなく自分にとって今年のキーワードになる予感がある。

正しく飢え、飢えることでまた成長したい。

開発品質の一つの要素に「拡張性」というのがあって、要するに機能追加や設計変更に柔軟に対応できるようなものを構築するということなのだけど、この点に非常に職人性が顕れる。

「拡張性」は生活においてはさらに重要で、自営業という生活スタイルが羨ましがられる点は主にそこだ。出社も出勤時間もないなんてよく言われるが、同時に退社も退勤時間もない点も特徴だ。何が言いたいかというとそんなに羨ましいものではない。体質との相性による。
それでも体質に合わせて生活をカスタマイズさせていくことは大事で、部屋のレイアウトや食事の調整と同じように金と時間の使い道は調整し続ける必要がある。一生。

言葉の意味も時間と共に微妙にカスタムされていく。
顕著な例は「時間」。中年になっていくにつれて有限な資源というニュアンスが強まった。そんな見え方の変化も最近は面白い。
「時代は変化する」という。生活も変化する。認識も変化する。
今日の正解が明日の不正解なんてこともよくある。

結婚して3年目が終わり、4年目の始まり。
1年目は浮足立って、挙式などをやった。
2年目はちょっと地に足ついて、新婚旅行とこれからの設計などを話し始めた。
3年目はコロナ禍もあって、人生設計と生活設計を話し合ってぶつかることもたびたび。
今年はレストランも行けないので、ささやかにナポレオンパイ買って食べた。

人間関係はうまくいかないのが前提だと思う。
他人だろうが家族だろうが難易度は高い。
いつか子供ができたら教えてやりたい。

「1年生になったら友達100人できるかな」
「友達100人作った101人のコミュニティに乗っかってくる煩わしさはマジできつい」
「100人で食べたいな、富士山の上でおにぎりを」
「もう計画段階で1人除外されてる」
「パックン パックン パックンと」
「1人が除外されたことを、50人は喜び、30人は後ろめたさを覚え、20人は憤りを抱えたまま頂上に来ている。パックンパックン食べてるお前はその50人側なんだろう。マイノリティの背負ったものを無自覚に蔑ろにするマジョリティだ。残酷だな」
「ウエーン」
「泣くな。想像しろ。想像力豊かに育って欲しいから俺はお前に『想像力豊』って名前をつけた。がんばれ!想像力豊!」
「パパのクソヤロー」

そんな風に、他人だろうが家族だろうがぶつかる。
人を扱うことが難しいから、言語と通信はここまで発展したんじゃないかと思う。

だから、ナポレオンパイ食べて美味しいと思ったときに隣で「美味しい」と口にするとか、そういうシンプルな一致の積み重ねは、それなりに意味を持っているのだと思う。
岡崎想像力豊にもそういうことを伝えたい。

写真は帰宅を待っててくれたアザラシ。
138641683_4085351691493512_2587520552424621974_n

年末に友人数名と忘年会を開催した。
行きたかった店はあったのだけど感染者数の増加を危惧して急遽リモート開催に変更した。
参加者の中にいた友人のSは舞台俳優で、コロナの影響で仕事もなくなって大変だと言っていた。そんな話をしているといつの間にかSがベロンベロンになっていることに気づく。
あれ?こいつ人の話聞いてないのか?
というくらいに支離滅裂に画面の向こうで暴れ叫んでる。
面白かったのでそのまま画面の中で暴れる動画を録画した。

その2、3日後に参加者の一人であるTさんから連絡が来た。
「あれからSと連絡がつかない」
そういえば、こちらもSに「昨日だいぶ酔ってたけど大丈夫?」という連絡を入れたきりになっていた。そのLINEは既読になっていない。

「2、3日LINE開かないことってあるかな?」
「うーん...忙しいとか」
「求職中だったら携帯見る頻度は高いのでは?」
「なんか怖いな」
「SNSもその日以来更新してない」

そんなやりとりを経て、最悪の想像がよぎる。
・忘年会のあと、急性アル中かなんかで倒れ孤独死
・忘年会のあと、衝動的に死にたくなって自死
なぜそんな想像をしたかというと、それくらいベロンベロンだったからだ。録画した動画を見返すと笑えなくなってくる。まじかよ。

Sは下北に住んでいるというので下北在住で繋がりのある人なら家を知っていたりするかもしれない。あるいは同じ劇団だった人なら...という一縷の望みを辿って生存確認の方法を探る。
見つからない。見つからないが続くと大事にしていくしかない。
Sが死んでるとなると、会を企画したことも後ろめたく感じる。

数名の友人に声をかけて捜索したが、万事休す。
やることはやった。あとは声をかけた友人に託すしかない。

そう思っているとTさんから連絡が来た。
「Sから連絡あった!生きてた」
程なくしてSからも連絡があった。

Sは、会の最中に酔っ払ってそのまま意識を失うように寝たそうだ。
翌日の午後に目を覚ますと体調がめちゃくちゃ悪く、そのまま病床に伏した。
体調が戻ってきたのでその翌日に携帯を見ると携帯が壊れているようで電話回線にもネットにも繋がらなくなっていた。携帯会社に修理を依頼し、戻ってきたら鬼のように心配の連絡が来ていた。

体調不良と携帯故障が同時に起こったということだった。
安心とむかつきの両方の感情で泥酔中のSの動画を送りつけると本人も引いていた。
そんなことがあった。




昨日は株式会社スペースノイドカンパニーのリモート新年会に参加した。



代表の栄之進はここ数年決まって「こいつは、WEBとクズを担当している岡崎です。片目が見えていません」と人に紹介する。
ここまで端的に自分を言い表している紹介文もないからさすがだ。数学の強い人が510 を 2、3、5、17に一瞬で素因数分解するような切れ味を感じる。

 部屋とYシャツと私。WEBとクズと片目。
 煙か土か食い物。WEBかクズか片目。

何の話だ。
前向きな雰囲気のある、いい会だった。




クラブ行ってないし居酒屋行ってない。
パーティの灯が今灯るべきとは思わない。
話すべきことは多々ある。積もる話やこれからのこと。
生活のことや社会のこと。祝うべきことと嘆くべきこと。
そう遠くないいつかまた集まってわいわいやろう。
音楽と酒と食事を用意してずっと話そう。

だから今は粛々と生き延びていてほしいと思う。

大晦日と元旦の差はあくまでも1日なので、これで「心機一転!」とかできる奴は普段からそういうコントロールができてると思う。むしろ「新年だから心機一転!」という人はなかなかギアチェンジができない性分のような気がしている。

心機一転はするべき時にする。つまり12月からのギアは変えてない。

大晦日は松戸の本土寺まで参拝に行った。

IMG_6565


参拝客は流石に少なかった。帰宅して4時くらいに就寝。
元日の昼に散歩に行ったのは陽廣院。キャッシュレス賽銭は、賽銭の数%が還元されるから、お願い突き返された感覚になる。

IMG_5636


1月2日。遠くまで散歩。柏の奥にある法林寺という寺を抜けて廣岡八幡宮という神社へ。
スタジアムの麓にこんな歴史のあるエリアがあるのは知らなかった。

IMG_5674


IMG_5691


そして、増尾城の城址も寄ってみる。
殺風景すぎて何も撮っていない。

1月3日。今日の散歩は根木内城址まで。

IMG_5699


殺風景だけど鴨はいた。

IMG_5709




殺風景を3日も散歩してしまったけれど、思い返すと結構楽しんでいたと思うのはどの場所も未知だったからだ。人生において未知への興味というのは最高のスパイスになりうる気がする。そういう意味ではこんな時勢であっても未来には希望しかない。

このページのトップヘ