electrongirl

ゆるく、ゆるーくありたいものです

合同会社elegirl代表、岡崎龍夫です。
大学生だった2004年から20年以上つけている思索の記録です。
未来の自分に手紙を書くつもりで書き溜めているため、それほど一般性はありません。

2004年11月

彼を画龍点世という。
久しぶりに会ってお茶をする。

彼と知り合ったのは2、3年前。終電過ぎの南越谷で路上で絵画を展示していた。
俺はその時、翌日に初舞台を控えていた。画龍点世は取り敢えず自分の作品を1000人の目に晒す。それまで毎夜此処に居る。という、企画をやっていた。取り敢えず、名刺代わりに絵を受け取った。絵は我流で、不思議だが地味な絵だった。それから、深夜の南越谷にふらっといく度に、彼は相変わらず座っていた。今度、常連さん何人かとデニーズで呑むから。岡崎くんも来る?その会合は10人ぐらいがデニーズで静かに飲む。よくわかんないものだった。俺は画龍点世に兼ねてから見せると言ってた詩作作品を見せた。「正直、よく分からないけど。おもしろい。」というのが彼の感想だった。同席者の多くは「分からない」といった。が、その同席者の中に一名妙な食いつきを見せた奴が居た。

まさか、その数年後に、その人間と少女感電なんていうのをやるとは思っていなかった。

その後、画龍点世は1000人の眼に晒すことを成し遂げ、絵もめきめき面白くなっていった。
久しぶりに連絡して会うたびに、絵は上達していって、次に行おうとしている頭悪めなことを
熱く語っていた。今でこそ、画家として成功の兆しが見え始めているが、彼が馬鹿なことをのたまうのは未だに変わらない。

彼に会わなきゃ俺もまともだった。と思う。
自分より面白いことを考えられたら悔しくなる。悔しくなったら自分に磨きをかける。
そのスタンスで、付き合っている。

久しぶりにお茶をして、相変わらずで、悔しかった。
この悔しい感じがガソリンだ。ガソリン。


彼を画龍点世という。
久しぶりに会ってお茶をする。

彼と知り合ったのは2、3年前。終電過ぎの南越谷で路上で絵画を展示していた。
俺はその時、翌日に初舞台を控えていた。画龍点世は取り敢えず自分の作品を1000人の目に晒す。それまで毎夜此処に居る。という、企画をやっていた。取り敢えず、名刺代わりに絵を受け取った。絵は我流で、不思議だが地味な絵だった。それから、深夜の南越谷にふらっといく度に、彼は相変わらず座っていた。今度、常連さん何人かとデニーズで呑むから。岡崎くんも来る?その会合は10人ぐらいがデニーズで静かに飲む。よくわかんないものだった。俺は画龍点世に兼ねてから見せると言ってた詩作作品を見せた。「正直、よく分からないけど。おもしろい。」というのが彼の感想だった。同席者の多くは「分からない」といった。が、その同席者の中に一名妙な食いつきを見せた奴が居た。

まさか、その数年後に、その人間と少女感電なんていうのをやるとは思っていなかった。

その後、画龍点世は1000人の眼に晒すことを成し遂げ、絵もめきめき面白くなっていった。
久しぶりに連絡して会うたびに、絵は上達していって、次に行おうとしている頭悪めなことを
熱く語っていた。今でこそ、画家として成功の兆しが見え始めているが、彼が馬鹿なことをのたまうのは未だに変わらない。

彼に会わなきゃ俺もまともだった。と思う。
自分より面白いことを考えられたら悔しくなる。悔しくなったら自分に磨きをかける。
そのスタンスで、付き合っている。

久しぶりにお茶をして、相変わらずで、悔しかった。
この悔しい感じがガソリンだ。ガソリン。




後輩が大絶賛だったので観にいったが大外れ。
他愛も無い朗読椅子取りゲームをみせられた。
羅生門じゃなくてもいいじゃんよ。
椅子取りゲームのルールもよく掴めないし。
無駄な鈴木メソド。俺のような素人にも分かるようにやってくれ。
以上。



大楽観劇。
原作の大胆な解釈に因り、夏目漱石の「こヽろ」とは別の作品を観た感じがする。
原作は「わたし」の主観で物語が展開していくのに対し、本作品は、寧ろ、女性二人の持つ背景に翻弄される「わたし」と「K」の姿を印象付けられた。
演出技法。オルトモーション。無駄な動きの一切を排除した上に、歯車仕掛けのような、非現実的機械的な動作、加えて非日常的な滑稽な演技。精密なカラクリで動いているような印象さえうける。そして、一人当たりのパターンのある台詞回し、人間像の多面性を感じられて面白かった。途中、音楽的な箇所も幾つかあって、楽しい。

とにもかくにも、面白すぎた。すっげー満足しました。

世界ふしぎ発見のロケに行く。白虎隊の役と外人の役で、まあ自害してきたわけだけど、傘のせいでおそらく顔も映っていないだろうし。楽しかったけれど、取るに足らない話題だ。
なにより眠い。始発で出発したのだが、寝坊が怖くて徹夜していったのだ。
ふとんに入るのが快楽やね。

わけあって。いや、わけは無いが、煙草を買えることにした。
そっちの方が美味しいと感じるようになったから。
けれど、LARKとラッキーストライクをいままですっていたのだが、この銘柄にしたのが高校二年のときだったから、四〜五年間連れ添ったわけだ。
ところで、煙草の扱いは恋人の扱いに反映されるらしい。ほんとかな。
俺は、LARKとラッキーストライクで二股かけつつ、そのどっちもが無かったらとっかえひっかえ喫いまくっていたわけだから、いわば、「誑し」なわけだ。しかし、これからはハイライトになった。さようならだ。

さて、ハイライトが生活に定着して、数年が過ぎた後に、LARKを吸うことがあったなら、俺は17〜21までの歳月を追想するんだろう。(現に、キャスターを吸うと中学生を思い出す。)そのとき、始めに思うのは、いったいどんなことなんだろう。




「小さな恋のメロディ」。高校のとき、ブランキーのベンジーが
「みたことがないならはやくみたほうがいいぜー」って唄ってて、
みようみようとは思っていたがなかなか、その機会がなく、風邪を機会に観た。
先ず、気付いたことがあって、邦題「小さな恋のメロディ」からは、そこはかとなく美しいギタアの音色を想像させるだろう。もしかすると、思春期の坊やが奏でる音楽とかそういった話を想像してしまっていた人も多いのではないのだろうか。少なくとも俺はしてたね。
これさ、「メロディ」っていう洋題を邦訳するときに「音色」ってとっちゃったからだと思うのね。音楽はビージーズばっかだよ。まあ、いいや。感想書こう。

一言で言うと「七日間戦争じゃん!!」

大人対子供って言う構図を、思春期の純粋な恋愛感情を通して描いた作品。ところどころにフィルムで撮る映像の美しさは感じる。思春期で観てたら触発されまくってたと思う。20過ぎて観るにはあおくさすぎるかもしれない。ゴーヤだな。日本でしかヒットしなかった映画だそうだ。日本人は青春とか、純愛とか好きなのかな。でも、ベンジーの血液はこれで出来てんだって。
ジャパニーズロックって、子供心なのかなあ。




どうも昨日辺りからおかしいと思っていたのだが、風邪をひいてしまった。
喉が痛い。鼻水水っぽい。頭重い。間接痛い。咳・くしゃみ。
なんかの罰かなあ。こんな罰を受けるほどに悪いことはしていないぜ。
一日中寝る。本格的に一日を損している。
ふとんの中で、ケータイアプリで麻雀をしまくる。
不毛この上ない作業だ。
こんなときに励ましのお便りとか欲しくなるよなあ。
俺の闘病っぷりをテレビで放映しろっての。畜生。

しかし、酷い。
健康なときに忘れているこの感覚。
小説がひとつ書けるくらい泣ける話だ。


早稲田の交差点でヒロミツさんとばったり会った。
お世話になりまくった先輩の一人だ。
現在、ortの舞台監督としてbeseto演劇祭の主催者サイドで活動中らしい。意外と近いところにいたんだな。そういえば、同じく黒いスポットライトだった今関は今何をしているんだろうか。と思って、奴の所属している事務所のHPを見たら、彼の名前は無かった。おおい、本格的に蒸発なんじゃないか。大丈夫か。

思い出すのは、昨年、一昨年、黒いスポットライトとして日夜カレーばっかり食べてた頃。あの時考えていた事象は何処かに行った。テキストとして残っているのは押入れの奥だ。その思考歯垢はもう、きっと錆び付いているものだ。きっと、着る服がやがて着れなくなるように、そして、新しいものを着るように、感覚には時間や成長に因ってずれが生じる。長持ちする物もあれば、そうでないものもある。しかし、刻んで、記すことで次の地点を窺い知ることも出来る。残そうか。遺そうか。いま死んでも、骨と塩しか残らんぜ。

でも、「ニューシネマパラダイス」で言ってた。
過去に在るのは亡霊だけ。
足を取られていてはいけない。って。






南雲君のライブだ。
昼間にスペースノイドのイベント行きたかったんだけど例によって寝坊だ。
もう。

アカネ(ライブ部屋)がデジタル炸裂だぜヒュー。マウス忘れんなーブー。
Sepeqoのリアルタイムリミックスとか、ファンサービス。もありつつ。
客は大いに盛り上がった。トランスチック?YMO?ノンノン。
体系的な分類じゃない。これがペコサウンドなんです。
茶碗を箸でたたけー。カメラ回せー。太鼓たたけー。口琴ー。
おーら、パーティだー。ミュージックファミーリアー。
古舘さんが来てくれた。楽しかった。

表現には大まかに左脳的な表現と、右脳的な表現がある。
俺や、古舘さんは前者。南雲くんは後者を行く人間だ。と思う。
前者は意味、空間に於ける意味、或いは意味に生成される感覚を構築する作業。
後者は純粋に直接、感覚それのみを捉えに行く作業。
その差異を感じた。「文芸」と狭い意味の「藝術」とも、言えるかも知れない。

勉強になるなあ。

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