electrongirl

ゆるく、ゆるーくありたいものです

合同会社elegirl代表、岡崎龍夫です。
大学生だった2004年から20年以上つけている思索の記録です。
未来の自分に手紙を書くつもりで書き溜めているため、それほど一般性はありません。

2006年08月

電車で隣の席のおじさんに話しかけてみたら演劇のプロデューサーの仕事をしているという。平田のオリザさんのお友達だという。もちろん名刺とチラシを渡す。
池袋演劇祭の理事と仲が良いらしい。
「"期待の星"と伝えておいてください。」とボーダーをあげておいた。
近いうちにお茶をする約束をして彼は電車を降りていった。
早起きして出かけると朝っぱらから楽しいこともある。
街へくりだせば楽しいことには事欠かない。

魔法使いが好みそうな月がぷかりと浮かんだ空。魔法のような夜。
闇は果たして気体なのか液体なのか。いつものように耽りながらいつものように帰るのだ。
そしていつものようによろめきゆらめきしている。

こんなきれいな夜でさえ誰かが手首を切っている。
幸運なことに俺は、月の光でアルビノになることもできるのだ。(というより、そもそもアルビノなのだ)痩せた骨や心も見えるだろう。腹部あたりに穴もあるはずだ。風も吹いている。
俺は類を違わず畸形の花で、歪な形状の葉と茎を持ち合わせているのだ。麝香と腐臭と石鹸のにおいのどれもが本物なのだ。珍妙な色の花びらだとも思うけれど、そんなこともないのかもしれない。

目白通りで少女が唄っている。
黒猫もいる。アコーディオンを覚えたら楽しいかもしれない。
少女が踊っている。

魔法使いが好みそうな月がぷかりと浮かんだ空。魔法のような夜
何回だって感電してしまうこころはまだあおく。魔法のような夜ほどあおく。
今日はちゃんと眠ろう。
あしたも大丈夫だろう。

先日のこと。
なぐもとやまほの計らいで精進料理を食べに行くことになった。

10:00 高尾山口集合

「どこで食べることが出来るの?」
「中腹のお寺だよ。」
リフトに乗って薬王院へ。リフトの途中で写真を撮られる。到着したところで600円で販売している。なるほど、そんなビジネスか。ぷあーぷあーと音が聞こえて僧侶が列を成して歩いていく。入り口には「山田御一行様」とある。「山田」という苗字は「南雲」とか「岡崎」とはちがった趣があるなあと思った。

11:30 食事

珍しい種の料理がたくさん。肉は無い。それでもこんなにバリエーション豊富。脂っこいのが全然無い。そしてなにより薄味だ。外食三昧の濃味漬けの舌にはとてもうれしい味付けだった。なにより寺で飯を食うのはとても新鮮だった。

14:00 山頂

食事でいい感じにテンションがあがってしまったために上った。山頂には何も無かったけれど山頂に居ることがとてもいいんだ。案内所にはきれいな木の実やきれいな虫の死骸、面白い形の葉などが「山の落し物」として置かれていた。平穏だなあ。こんなところで暮らしているとやさしい奴になるなあ。きっと。山好きには穏やかな人が多いらしいがなんとなくわかる。殺人事件起こす奴なんていなさそうだ。

15:00 6号路

案内所のお兄さんは「下山には6号路がおすすめですね。」とさらっといったので、舐めてた。3人とも足が悲鳴を上げている。沢と道の境界線がない箇所はすべるので危険。紫陽花のつぼみがやたら多い。「じゃあみんなで亡命している気分で降りようぜ」と言うとやまほが「いやだ」と言う。「胃腸が弱いうえに、ばかだね」とこの上なく屈辱的なことを言われたが、結局彼女の提案で山で暮らす高校生の気分で下りることになった。人はなぜ山に登るんだろう。最初に娯楽として登山を行った奴は馬鹿だと思われたのかもしれない。そんなことを考えながら下りる。

オオバコの葉をふたりがもぐもぐ食べている。煎じてお茶にしようと摘みながら下りる。ドクダミも摘む。生えている場所によって葉のつやが違うから不思議だ。沢はいつの間に小川になっている。うぐいすも鳴いている。当然のことながら山は実りに溢れている。繁茂した緑にはある種の「気」があって、山にはそれが漲っているからここにいるだけで元気がよくなるんだと思った。だから人は元気をもらいに山にのぼるんだな。

16:00 とろろそば屋

精進料理でおなかがいっぱいになったけど下山でカロリーを使ったためにまた食事。とろろもやまのみのり。うまい。たらふく食って高尾山をあとにする。



こういうイベントごとも行っていこう。




煙草はハイライトメンソール。しかしどうもメンソールと体の相性がよくないときもあって、絶対にこいつじゃないんだろうなと思いながら付き合っているカップルのようだ。様々な煙草に浮気をしているがいまだ合うものはみつかっていない。せめて煙草の銘柄くらい確立させたいものだ。いっそ止めてしまえばとはよく言われる。それも違うんだよ。

自分と自分の癖に折り合っていく
それで精一杯なのだけれども

感情と感情とは薄皮一枚の隔たりしか持たない。不安になるのも、たのしくなるのも、恋に落ちるのも、狂うのもその膜一枚を破くのに二秒は要らない。一秒で始めることも終わらせることもできることは知っている。(脚本や作品を書くのも実はそうで、着想から脱稿までのスパンの中で生まれるのは一秒だということも最近なんとなくわかった。)朝方の電車の中で、破けた部分から若干の涙が零れたが、それから降りるまで眠ったらどうでもよくなった。本当は、一切を諦めたとしても自分のことを好きでいられる筈だと思う。しがみつく理由はそんなに無い。子供じみた意地の部分も勿論ある。けれど、それだけが知っている折り合いのつけ方ならそれを続けるしかないわけで。いっそ止めてしまえばとはよく言われる。それも違うんだよ。

ねこじゃらしひとつあれば、一時間ははしゃいでいられる。そんなことに付き合ってくれる奴なんていないだろうから、ねこじゃらしひとつとってことばと遊ぶ。こんな、日記ともいえない駄文を重ねるのも似たようなもので、ことばの(文字の)直線と曲線と戯れているのが好きなんだ。

やみは見つめていればいるほど膨らんで広がるけれど、目を背けるのは違う。見つめ抜いて広がりきったのをみとめてから徐々に溶ろかしていこう。

正しい形をしているものなんて何一つ無くって、総て畸形の花。人間の進化の過程を見ると、指が六本ないのはおかしいらしい。そうだとしたらそうまとめるしかないじゃないか。

■■■

7月某日

中目黒にいく。
コンドウアキノの新作アニメーション「てんとう虫のおとむらい」を見にいったのだ。コンドウアキノは気持ち悪いくらい少女を書くのがうまい。あと、虫も。
少女は黒髪のおかっぱ頭の物憂げそうなキャラクターだと決まっている。

作品はこの少女がてんとう虫をつぶしたところから始まる。
概要をいうと、ボタン、スカート、ぬめぬめ少女地獄、落下、回転、分裂、拡散、夢。そんな感じだった。コンドウアキノはなんかもう、人物そのものが作品になっているような感じがあって、とにかく「少女と夢」という感じだ。少しエロくて少しグロいのがまた惹かれる。観ながら思わず唾を飲んでしまった。

会場内には生のコンドウアキノがいる。話したいことはいっぱいあったけれど、当たり障りのない会話しかできなかったのが残念。

■■■

近藤聡乃「てんとう虫のおとむらい」

日時:2006年7月5日(水)〜2006年8月5日(土)
場所:ミズマアートギャラリー(東京都目黒区上目黒1-3-9藤屋ビル2F)
http://mizuma-art.co.jp/news_j.html

このページのトップヘ