electrongirl

ゆるく、ゆるーくありたいものです

合同会社elegirl代表、岡崎龍夫です。
大学生だった2004年から20年以上つけている思索の記録です。
未来の自分に手紙を書くつもりで書き溜めているため、それほど一般性はありません。

2012年01月

心ここにあらず、空洞です。
浮ついてポカばっか。本当によくない。

昨日はGEEK COMPLEX TV。
なんだかんだでたのしかった。
とーのすくんありがとう。また遊ぼう。

その反動か、今日は本格的な風邪を引いて寝込んでいる。こういうときに買い物やらを自分でやらなきゃいけないあたり一人暮らしはつらい。
上京してけっこう経つけど、病床の孤独は拭えず、こうやってブログを書いている。

喉が痛い。関節が痛い。目が痛い。歯が痛い。凍風の所為で心だって痛い。満身創痍な状態でズタボロになりながら布団の中にいるのは本当に悲しいな。

10月から、ぽつねんと部屋で掃除や料理なんかをしながら暮らして、図らずも自分自身を見つめる時間になった。
花を飾るとか、こたつを買うとか、酒を作るとか、まあいろいろやっているうちに見えてきたものはいろいろあった。お腹のなかにある闇や混沌も。

やさしいおばけになりたい

ねぞうの悪い子にふとんをかけて
泣いてる女にお酒をついで
夜更けの墓場で迷子の子猫の
気が晴れるまで踊ってあげたら
ほかのおばけの愚痴を聞く

いなくなっても悲しまれない
名前や素性は誰も知らない
どこからともなくやって来て
いつの間にやら揮発する
季節の巡りにむねをおどらせ
考えてるのは飯のこと

そういうおばけになりたい
ほんとうは、俺は

4月下旬よりドイツ(ベルリン)にいく予定で、最近は物件と仕事を探しながらドイツ語の教材を読んでいる。
理由は、特にない。
そうだ京都行こう、の感覚で4から6ヶ月(ワーホリビザで行くので90日しか働けない)。3月で29になるのですが、20代の終わりにいい旅ができたらいいなと。

少ない可能性だけど、永住の選択肢はとりあえず持っておく。
「帰る旅だし」という気持ちで臨むよりそっちのほうが楽しいと思う。

uronとelegirlどうするの?と聞かれるけど、言わずもがな継続。向こうのネット環境とかどんなんかはわからないけどPC持ってけばまあなんとかなると思う。

elegirlは3月にでーんと大作発表するし、uronは最近更新怠ってるけど、どちらも自分にとってすごくいい活動。辞める理由がない。

エアマットを潰すだけで人生の時間を全部費やせる人もいれば、ドラッグくらい刺激がないと退屈だという人もいる。
自分にとってちょうどいい刺激でもって、寿命までの長い暇を潰すだけ。
そのなかに、死んでもいいと思えるような日に、何回巡り会えるか。そういうことなんだと思う。

旦那が風呂敷広げて畳むのは女房の仕事。
そんな言葉があった気がする。
つまり、未婚の独身男性は広げるのも畳むのもセルフなわけだけど、自分の場合は広げるのだけがうまくなった。

こころの在り方とかかたちとかそういうのに相変わらずこだわっていて、自分にしたらやわらかな愛や誠実や真心が、人によっては硬質だったり、感情で圧をかければ鋭利になってしまったり、優しく手渡すつもりが投げつけてぶつけてしまったりと、難しい。
きっと、うまくやろうとすればするほどどつぼで、なんにも考えてない時のほうがやわらかさと丸みを保てる。

そういえば大寒じゃないの。
寒いのは本当に苦手だ。硬く尖るし理屈っぽくなる。今年は例年より寒いだけあって、こころも言葉もうまく出ない。

喪失や揮発するものだけに目がいくけれど、これでもちゃんと、日々なにかを獲得できているだろうか。そして、収支にこだわらない強さを持てるだろうか。



春からしばらく旅に出るつもり。広げまくった風呂敷にいれる荷物なんてほとんどないのだけど、そろそろ支度でもするかという感じ。
広げた風呂敷のたたみかたを覚えないと。

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良き夜。ご冥福を。またいつか。

 部屋の混沌は心の混沌ということわざを、つくった。意味は読んで字のごとく。

 年始早々いろいろなことがあって正月気分はあっというまにうっちゃられた。
 部屋がちらかったままだ。必要以上におおきなコタツを入れたためアンバランスなことになった。こころはどうだろうか。うまくいかないよもやまを、知る人の訃報を抱えこんで、換え忘れた花瓶の水が濁る。花が痩せる。冷蔵庫の食材がいたむ。凍えて帰ってこたつにはいれば、着替えも忘れてそのまま眠る。均衡はいつか、取り戻せるだろーか。
 
 お気に入りの公園にはしばらく行っていない。その公園に行く途中のきつい傾斜の中腹にはちいさい空き地があって、どうやって運んだのか、動きそうにないクレーン車が置き去りにされている。そのクレーン車の座席からは多摩が一望できる。あの秘密基地にはしばらく行っていない。また行きたいまた行きたいと思っているうちに、何年経ったんだろう。いまじゃ場所もうろだ。今まで生きてきたなかで一番天気がいい冬日に、また行けたならうれしい。
 部屋をかたして、いろいろなけりをつけて、春を迎える準備ができたら、もういちどそこに行ってクレーン車の座席で昼寝とかしよう。撤去されていませんように。

空気は澄んでいても日陰が続いて、冷え切った冬の道を真っ直ぐ歩く。時計を忘れたのは幸い。針に急き立てられることもない休日です。ひげを剃るのは怠ったけれど暖かくなったあとで床屋にでも行こうか。非の打ちようのない晴天はだんだんと色味を増して来ている。

さて、昼食は何を食べようか。知らない町の知らない店を思う。うまかろうがまずかろうが話のタネができればそれでいいし、どうせひとに伝えるときはユーモアでふんだんに修飾。味わったり味つけたり舌というのは実に見事な組織ですな。
「いやほんとそうですね」とでも言うように、お腹が、相槌を打つ。

建ち並んだビルの所為で道は冷たいまま続いて、可哀想に痩せた街路樹が凍えながら揺れる。
ただ、例年より低い気温に感傷すら凍てついて、湿っぽい気分を浮かばせるのは億劫だ。

喫茶店の窓際では誰もが悠々と煙草を喫って、柔らかい席の上で好きな文字を読んでいる。
すれ違うバスの中では老人が歓談。花屋の軒では女の子が空を見ている。
この町はやわらかい祝福の中にある、そう視えたら俺もそこにいる。背負う荷の少なさが心許ないなんて、贅沢な感覚だ。
帰るころには両手はふさがっているだろうし。

もう少ししたら陽も入るだろう。樹木が喜べばもっといい時間になる。
凍りついていた感傷が芽を吹いたとしても、揮発するまで公園で音楽でも聴いていればいい。

昼食は何を食べようか。選択肢が無限だということがつまり最高だ。相談すべきはふところだけ。日向があればおにぎりだっていい。

もうすぐ陽光が差し込む。
この町に最高の時間がやってくる。最高の時間を見せたい人を、連れてくるための文句はどこかに落ちてないものかと、考えてみては気恥ずかしくなる。

あけましておめでとうございます。今年もよろしくおねがいします。

去年は価値観がいろいろ揺れる機会にめぐまれました。それはそれでしんどくもあるんだけど、糧なのでしっかり消化してやろうと思っています。

年末年始の街の華やぎと、うらはらな夜の静謐が好きです。駅前の繁華街もお休み。ラーメンを腹にいれて川沿いを歩けば、星も見える。
無事に過ごせますようにということだけ神仏に願掛け。それ以外のことはてめーでなんとかするということを覚えた。丹田に力いれてタスクも遊びも生活もしっかりやろう。

今年は何を勉強することになるんだろう。精進しよう。

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