electrongirl

ゆるく、ゆるーくありたいものです

合同会社elegirl代表、岡崎龍夫です。
大学生だった2004年から20年以上つけている思索の記録です。
未来の自分に手紙を書くつもりで書き溜めているため、それほど一般性はありません。

2012年09月

春にドイツ行きについて占ってもらった折に言われたこと。
「その旅であなたは感謝についてよくよく考えることになるでしょう」

数え切れない「ありがとう」と「サンキュー」と「ダンケ」を毎日遣っている。
英語のサンキューはI thank you の I を省いたもので、「わたしはあなたに感謝する」からきている。thankは古代英語の「thanc(think)」から来ているんだとか。
それに対して日本語の「ありがとう」は「有難い」、存在しづらいものが存在したことへの感謝だそうで、仏教思想に由来していると聞いたことがある。美しい言葉だと思う。

ドイツに来て4ヶ月が過ぎようとしている。
相変わらず生活は愉しいだけじゃないけれど愉しい。
近頃はめっきり寒くなって、昨日は暖炉に焼べるための薪を買いに行った。
長くなった夜の所為でひと気は随分減った。冬の始まりと旅の区切りを覚悟しなくちゃいけないんだと思う。
それでも昨日と一昨日は天気がよかった。インディアンサマーってやつだ。
こんな季節に、有難いことだ。寒い日が続くと晴天の有難さは瞭然なのに、夏には疎ましくさえ思う。こころは、常にどこかしらが盲目だ。

ベルリンに居たいなあと思う気持ちはあるし、日本を恋しく思う気持ちもある。
どっちを選べど獲得と別離は伴うし、どっちを選べど正解も不正解もない。
いつだってそんな風に踏みしめてきたはずだ。様々な街と、様々な経緯を。
その結果、今ここに居れるわけだ。
かつて喉元でのたうっていた熱りにだって、「ありがとう」と今なら言える。

閑話休題。
人間の本質的は液体だ。水面を揺蕩う油分のように不確かで脆い。
留まりたい場所を見つけても、そこに留まれるか、留まれないかは、水流のみぞ知ることで、もしそこに居続けられるならそれは幸運。その幸運を「有難い」と思うべきだ。
油分と油分がどこかで出会い、同じスピードで同じ方向に流れていくことができるのも同じく。人の縁は蔑ろにできねーなまじで。一つ一つの成り行きを噛みしめて抱きしめていきたいな、いけたらな。

もうすぐ旅の終わり。
次の一歩はどう出ようか。何に引かれていくんだろうか。
いい感じの水流を漂えますようにと、祈るばかり。

占い姉ちゃん、あなたいい腕してんわ。



終わることなど無いのだと強く思い込んでれば
誰かのせいにしなくても どうにかやっていけます
やり直しても良いのです今度は一人ぼっちでも
記号化されたこの部屋からついに旅立っていくんです

いつでも優しい君に謝々!! 大人も子供も無く
涙でごまかしたり 意味もなく抱き合う僕ら
今ここにいる

生まれるためにあるのです
じかに触れるような 新しいひとつひとつへと
何もかも悲しい程に

あくまで優しい君に謝々!! 赤い土にも芽吹いた
大空に溶けそうになり ほら全て切り離される
鳥よりも自由にかなりありのまま 君を見ている

生まれるためにあるのです
じかに触れるような 新しいひとつひとつへと
何もかも悲しい程に

あくまで優しい君に 謝々!! 赤い土にも芽吹いた
大空に溶けそうになり ほら 全て切り離される
くす玉が割れて笑い声の中 君を見ている

 今日の陽も落ち、草木も眠りに落ち、一日はそれなりに満ち足りた筈が、ほんの少しの空白が気泡のように在って、数日も積もればそれは空虚となる。日々はそれなりに満ち足りている筈だ。不自由もない。これ以上何を求めてるのかは分かりようもない。誰かが埋めるべくもない空白の堆積を、噫気も出来ないまま抱え込んでいる。息が詰まる。
 終電の過ぎた夜の路傍で、街灯がたくさんの孤影をつくり出す。墓標を失くしたおばけのように、その中をとぼとぼと歩いている。

 少しだけ疲れているのかもしれない。季節の変わり目に狼狽たえているだけと思いたい。静か過ぎる街の中で、足音と呼吸音が反響している。時折音が聞こえるとすれば、車の通過か酔っ払いの喧騒。決して心地良いものではないので鼻歌を口ずさんでみても、中空に吸収される痩せた声は己を鼓舞するには脆弱すぎる。
 体温が欲しいなら娼婦街に行けばいいし、真心が欲しいなら誠実を保てばいいだけだ。
 結局は机上の積木をすべて使って作り上げたものが枠組みだったっていう話で、そこに何を当てはめるかを迷い倦ねているような、つまり深刻とは程遠い、ハムレットに憧れた三流役者の三文芝居。ウェルテルでい続けたい三枚目の立ち振る舞い。そんなもののような気もする。

 家路には、標もある。様々な引力にその度引かれている内に、方角を見失うのは傍から見れば喜劇以外の何者でもない。誰の所為でもない。呼吸の方式を忘れているだけだ。
 積木で出来た枠組みに当てはまるものが、例えば明日出会う風景なら幸運だ。空洞の一切を埋め尽くしてくれるような色彩があるなら、旅券の代金なんか吝嗇らないし、多少の贅沢くらい目を瞑る。もしその枠組みにうっかり美しい思い出なんかを当てはめてみるとしたら最悪だ。空腹を塩で満たしても咽喉の渇きにのたうちまわることになる。

 季節が、確実に着実に変わろうとしていて、それは少しだけ怖いな。果たして本当にこの路は家路に続くのか、辿り着いた先は本当に家なのか。木々の間で声を殺して、蝙蝠が嘲う。疑いつつも進むしかないのだけれど。少しだけ疲れてる。吐き出せないまま抱え込んだ空白を抱えてる。誰かが埋めるものではないし、誰かが示してくれる道ではないと、そんなこと最初から分かっているのだけれど。

旅も半ばを過ぎて、夏も終わりを向かえ、冬の支度と締めくくり方に気を回すようになった。
今年の頭に思いついた無計画な計画だったが、それにしては順調なほうにも思う。
東京にいたときにすでに人並みの人生経験はあったとおもう。
東京にもまれている中で覗いたいろいろな世界のおかげで、言葉の不自由なこちらでも話題は豊富なほうだと思う。そしてなにより俺には真心とユーモアもある。

もっと英語が使えたらと、思うとまったく末恐ろしい限りだぜ!
恐ろしくなんかない。一生、どこまでいっても若輩者だろうし、その気持ちを忘れたくもない。
人生を見つめなおす自分探しの旅の途中で、自分が未だ何者でもないことを知った。今後もそうである気がする。それでも、神出鬼没の正体不明、穏和と戯言の使者、やさしいおばけ、
そんな道をゆくのもかっこわるい事じゃないと思いたい。

次の一歩は何をしようか、出たとこ勝負でいい。賽の目に任せるくらい適当でいいはずなんだ実際。
ひとつひとつのなりゆきを大切に受け止めろ、と、言い聞かせる。
びびんな、逸るな、結果を求めるな、牛歩の先にでかい獲得があると、言い聞かせる。

それでもどの道を行くにせよ誠実さにはなるべく欠かぬ様に
誠実にむきあえなかったものの数だけ苦しむし、誠実にむきあえた物の数だけいいことがある。
因果応報、本当にそういう風にできている。
けれどきっと誠実に向き合えるかどうかには運も縁もあって、もしそうできたなら幸運。
そういうめぐり合わせに感謝をしたいなあ、って。そんな風に思えた。


今日もまた日は落ちて、アリスはワンダーランドへ、街は宵闇の中へ
浮世はいつだって華々しいケイオスにまみれてる
夏の風景を夏の記憶を秋雨が北から塗りつぶす
雨上がりの匂いをパフュームが塗りつぶす
夜の緞帳の漆黒には、何万もの色彩が眠っている
夜が揮発して街の空が白む頃、華々しいケイオスが空虚な瓦礫に変わる頃
一切をやさしさの産物と思えたら
アリスはそこに居ていいことを識る
唐突に眠気がやってくる

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