electrongirl

ゆるく、ゆるーくありたいものです

合同会社elegirl代表、岡崎龍夫です。
大学生だった2004年から20年以上つけている思索の記録です。
未来の自分に手紙を書くつもりで書き溜めているため、それほど一般性はありません。

2013年02月

おもいをかたちにする欲求を多分相当の数の人が持っていて、
そのかたちっていうのは時に作品で時にお金で、時に組織で、まあいろいろなんだけど
かたちのあるものなんてどこにもないだろうに、一切は揮発するし寂滅するだろうに、
なりゆきにまかせていればそれでいいのに
そこに執着するのは、あきらめきれないのはなんでだろう。

かたちを持たないまま拡散していくのをよしとするおばけスピリットと
かたちを持とうと地面を踏みしめるおばけスピリットとがいつだって鬩ぎ合ってる。
そんなこんなでまた一年が過ぎて、春が来ようとしている。

かたちを定点に閉じ込めるために、ことばがあるんだろうか。
歌声にひろがりをもたせるためにあるんだろうか。
そんなことを考えるのはおこがましいことなんだろうか。

ギロさんとはネットで知り合った。
なんとなく大喜利をやっているうちに、笑いの路線の似た人たちで大喜利クルーみたいなのになった。
ギロチンさんは「ギロチンde剃毛」というひどい名前だった。
それが6年前で、いまだに大喜利をやってる。

電話やskypeではたまに話すことはあったが、3年前の年末に大阪にいって、その時初めて会った。
イケメンというのもあったけど、七尾旅人ばりに目がきれいで爆笑した。
酒を飲んで二軒ほどはしごして終電で帰った。ギロさんが「めっちゃたのしいわー永遠に飲んでたいわー」と言っていたのが印象的で、それくらい楽しかった。そのときにプレゼントしてもらったのが自作の楽曲のCDRだった。
東京に帰ってそれを聞いて、え、なんでこれどこにも発表してないの?と思った。
ギロさんはPCの扱いが不慣れな様子だった。

「発表しましょうよ!」と言いくるめ、ギロさんの許可を経て10数曲あるうちの5曲をsayonara recordsに送った。
アートワークが必要になったので大喜利の友達のきょうすけにつくってもらった。
そのときに問題になったのがアーティスト名でさすがに「ギロチンde剃毛」はひどいよね、ってことでそのまま英語にした。そんなこんなでsayonara recordsから出たguillotine hairshaver”The Lost Days”はわりと好評だったように思う。当時日本のネットレーベルは黎明期で、そのあたりからいきなり増えた。
sayonara recordsからギロチンさんの作品をリリースしたほかにも、CDRには作品があって、その残りをリリースするためにelegirlのサイトを作って、ネットレーベルと言う形態で運営を始めた。elegirlと言う名前のドメインとサーバはそれ以前からずっと確保していたが、その時からはじめてサイトとしての必要性をもち始めた。
そんな2011年、日本でネットレーベルはいきなり増えた。
以前から、monotonikやField noise recordというレーベルへの憧れがあった自分にとっては、
ある程度の無骨さは必要だったしネットカルチャーがアニメカルチャーに結びつくのもなんか安直でいやだった。アニメは好きだけど。
インターネット上でやる以上無理やりでも国内向け、国外向け両方のベクトルを持ったほうがいいし、フリーダウンロードだからってアートワークを蔑ろにするのも納得がいかない。金がないから無料配布って、その貧乏くささは何も生まないと思った。

ギロさんから、sanmiさん、そして国外アーティストの方々。或いは国内のアーティスト。
いまだにマネタイズにはつなげていない、イベントクルーにもなっていないのでモチベーションの維持は意地だ。それでも見ず知らずの国のやつが、名前すら知らない国の奴が「your label is great!」なんてたまにいってくれるおかげで、孤独な作業の一切が報われた気になる。

この形態で活動をしていくなかで、音楽についての考え方は大きくかわっていったし、いまだに変わり続けている。検証するように運営していこうと思っている。

個人的にはもう「ネットレーベル」っていう言葉自体がダサくて、もうmp3を扱うネットレーベルだろうがフィジカルなものを扱うレーベルだろうが区別のできない時代はとっくにきている。カルチャーに線を引く作業は、しょぼいお山の大将を作りにいく感覚だと思う。
音楽は音楽だ。
それが一番ベターであればmp3でリリースするし、違うならCDでリリースする。レコードやカセットでのリリースがベストな時だってきっとあるはずで、そこは臨機応変に選んで行きたいので「ネットレーベル」っていうな。

sayonara recordsが活動休止して、活動休止したらギロチンさんの”The Lost Days”はそのまま埋没していくと思った。止まれば埋没するのはネットの宿命だ。いやいやいや、あれは俺がパッケージングした作品だ。思い入れもある。そうさせたくない以上再リリースさせてもらった。無料だろうが有料だろうが、CDだろうがmp3だろうが、そういう気持ちは大切にしたい。
同じタイミングで”Triangular cry”もリリースしたので、

そんな感じで、elegirlより新作を3作リリースしました。
かっこいいと思います。聞いてください。guillotine hairshaverをGHSともう略していこうと思ってます。
これが定着していったら、俺がちょっとタイプが楽になるので。



http://elegirl.net/label/


まだまだリリースが続きます。

東京では梅が咲き始めて、それはまだ小さいのだけど、その小さい開花を一生懸命期待するような、日々の些事ひとつひとつに感動できるような、そんな生活がやはり素敵だなと思った。
今年も東京は立春。開花のための水を直向に毎日遣ってる。




索漠に春の電子の白く在り
ケイオスを秘めて眼前梅ふふむ
龍夫

 小学生の頃「学級新聞を自作したら面白いんじゃないか」と思いついて、その夜せっせと学級新聞を書いた。記事の内容は「犬、ほえる」とかわざわざ記事にするようなことでもないものを見出しに出して紙を埋めた。翌日クラスに持っていくとうけた、笑いのセンスのある奴が編集にどんどん入って編集部が組まれたという経験がある。そんな風に、遊びの発想力だけは人一倍あった。ファミコンを買ってもらえなかった一人っ子に与えられた夜の時間は長い。テレビのチャンネル権もなかったので、遊び方を考えることが毎日の日課だった。

 いつの間にか気づいていたことは、物事は見る角度を変えるだけで大きく写り方が変わると言う点だ。片目の見えない自分にとってはその着想は必然だった。右目は劣等感であったし何度も呪ったが、物事の様々な側面に気づくという点についてこれは天賦の才であると思えてきている。
 「え?何お前ら?この切り口を思いつかないの?これだから両目は、は!」と言えるようになるまで

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