electrongirl

ゆるく、ゆるーくありたいものです

合同会社elegirl代表、岡崎龍夫です。
大学生だった2004年から20年以上つけている思索の記録です。
未来の自分に手紙を書くつもりで書き溜めているため、それほど一般性はありません。

2013年08月

 ドイツの夏をこじんまりと満喫している。

 東京の生活に比べたら非常にのんびりしている。そんな中でもこころには絶えず波紋が起こるし、波紋は流れをつくる。東京に帰って生活するイメージが今は本当にない。とはいえ、ドイツでの生活の不自由はもちろんある。多くのひとがその間で悩んだり頑張ったりしている。
 ベルリンに着いてから考えていること。自分の思う人生の形や欲求の矛先のこと。
 毎日、新しい岐路に立たされていることを思い出している。

 どうあれ、どういうディレlクションであれ腹をくくらなくちゃいけない。

 ジェリー藤尾のあの歌が、かつては逃避のように聞こえていたけれど、最近ではちがうふうに聞こえてくる。
 遊歩を続けたら冒険になってた。そんな風ではいけないだろうか。

 アレキサンダープラッツで買い物をしている時にふと、こころはまるで水風船のようだな、ということを考えた。
 その水はいろいろな色彩が混濁していて、時にきれいで時にきたなく見えるような、そういうしろもので、満ちて膨らんだり、揮発して凋んだりを、呼吸のたびに繰り返しているのだろう。

 ベルリンは居心地がいい。ここから、参院選のあとでは、去年いた時よりも日本の病理が視える。そもそも濁りやすい質のこころが、純水を保つのに、その土壌では難しいんじゃないかとか、そんなことも考えている。
 ベルリンにいてもやはり、扱いの難しいものは厄介で、濁らせないように、破裂させないように保つのは苦労だ。だって呼吸のたびに実に多くの影響を受けるし。天気が変わっただけで一気に色づくこともある。呼吸のたびに水面に起こる波紋に、笑ったり泣いたりしながら生きていくなかで、その数が煩わしくなることもある。
 収縮を繰り返す水風船の中で、騒々しく揺れ続ける水面の上で、ひょっこりと枯枝のように突き出た脊椎が、華奢だ。実に心細い骸骨だ。

 アレキサンダープラッツで買ったエスプレッソマシンでコーヒーを淹れながら、飲みながら、水風船の中身にカフェインを混ぜながら、先日死んだ実家の猫のことを悼んでいる。眠気を誘う斜陽の中で、己の凡庸を呪ったりもする。好きな音楽を聴いてみると、眠れもしないまま日が傾いていく。

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