electrongirl

ゆるく、ゆるーくありたいものです

合同会社elegirl代表、岡崎龍夫です。
大学生だった2004年から20年以上つけている思索の記録です。
未来の自分に手紙を書くつもりで書き溜めているため、それほど一般性はありません。

2014年02月

僕は、世界で一番美しいWEBサイトを知っている。
それはこのサイトだ。
この僕が今したためているこのブログこそ、僕の一番美しい文芸だと思う。
本当に、本当に色々あった。

18歳から、いや、物心ついた時から。
本当に自分にはいろいろ会った。それは僕の片目が見えないことによる宿命だったのかもしれない。父は文芸の人であり、商業の人であり、仏教の人でもある。それは僕の中のある部分を新緑のように芽吹かせ、ある部分を囚人のように鬱屈と育てた。
思春期の自分にはしょぼい郊外のしょぼい団地に見えたこの街は、時間の経過とともにもっとしょぼくなった。僕はその間に思春期を経て、東京を経て、ベルリンを経て、またこの町に戻ってきている。

いまやろうとしていることは起業、それも資本ゼロからの起業。そして、ビジネス的には貧弱かもしれないキャリア。それでも僕の通ってきた道程のおもしろさについては自信がある。

世界と人生には波がある。
それは健康的なものや精神的なもの、経済的なものなど様々だと思う。
時には僕らの手に負えない、巨大な社会のうねりが、何度となく飲み込んでいくのかもしれない。

その中で、起業。
他の選択肢が思いつかない。
正直いきなりへばりそうだ。不安だ。疲れる。のどの渇きを、冬の寒さを常に抱えて、それでも、何とかしたいのは、たのしいからだ。
メールが思うように返せなかったり充電切れが起こるのは情けないことだ。こんなんじゃだめだ。もっと精度をあげろ。想像力の。

酔っ払って凍えながら、世界とダンスしている。
営業のメールを打ちながら、世界とコネクトしている。
世界とアディクトしている。

やさしいおばけ
僕は自分のペンネームを世界で一番美しい名前だと思っている。
名前の由来はそう為りたいからだ。そして岡崎龍夫も同じくらい好きだ。
やさしいおばけも岡崎龍夫も同じように育てばいい。虚構と実在の使者として、俺が死んだ翌日には誰もが忘れているような存在になりたい。

世界で一番美しい音楽のwavファイルを持っているけれど、ネット上にはまだあがっていない。
ネット上で聞ける中で世界で一番美しい音楽はいろいろあるけどこれだとおもう。



僕はこんな音楽を聞き続けながら眠れない夜に酒を飲みたい。



お師匠がいる。
お師匠というには近いかもしれない。

まず、一人は御笠ノ忠次。
彼を本当の表現者だと思う。
彼の言うことを信じれば世界はよくなると思う。
ネット上にはあがらない。薄暗い路地の小道で、刀のように鋭く美しい感性を持っている。



彼の作品がもっとカネになればいいと思う。
彼の表現がもっと知られればいいと思う。
彼の創作ブログ「案山子堂」は世界で一番美しい日本語だと思う。

http://blog.livedoor.jp/noshin0724/


そして岡崎藝術座の神里さん
彼の演劇も本当に美しい絵画のようだと思う。

両方を知る友人に
「あの二人合わせたらどうなるかな?」と聞いたら
「きちがいふたりじゃないですか!大喧嘩しますよ!」と笑われた。

そのほかにもいろいろな才能を見た。
感受性というのは無限なんだと思った。
そしてそれぞれがそれぞれの感受性を尊いと思えれば、世界は楽しくなると思った。

必要なのは、システムだ。
カネを豊潤なところから、おもしろいところへ流すシステムだ。
手堅いところでカネを生んで、おもしろいところへの投資をする。これがスポンサーの価値観だ。
おもしろい人におもしろい仕事をさせてカネを生んでもらう。これが人事の価値観だ。
へばりそうで不安で疲れる。のどの渇きを、明け方の不眠を、どれだけ今後食らうのか分からないけれど。

脆弱な電波で僕らはつながって
月の魔法でどこまでも行ける
春の電子の匂いがしている
眼窩の少女が踊っている

この住処の名前はelegirlという。世界でもっともやばい組織だ。
相当クールでモストビューティフルだ。やがてそうなる。
そして情熱は、病理と似ている。
現実を歩んでいるのか夢を見ているのかが時々わからなくなるけれど、それはどうでもいいことだ。

また明日も忙しいが。


毎日、毎日いろいろな人に会って、いろいろなインスパイアを受けて、いろいろなことを考えている。
ぶれていないか、ちゃんと自分の思う道を進めているか、寝る前に自問自答しつつ、大丈夫だと自分に言い聞かせつつ、暮らしている。その道程が傍から見れば、どんなに一般的なものからぶれていようが、俺からしたらそれが一番明瞭なのだからもうしょうがないし、どうでもいい。

きちんとした姿勢で、きれいな身だしなみで、正しい言葉遣いのまま脳みそスッカスカでいたい。深妙な面持ちで何も考えていないとか、スーツで猥談とか、そういうのがいい。
お前ちょっと狂ってるよとかいうのなら、ちょっとくらい狂っているくらいがやっぱちょうどいい。
やさしさだけを忘れずにいれたら、それでいいんだと思う。



壊れたいわけじゃないし壊したいものもない
だからといって全てに満足してるわけがない
夢の中で暮らしてる 夢の中で生きていく
心の中の漂流者 明日はどこにある?

生きててよかった そんな夜を探してる

年をとったらとるだけ増えていくものは何?
年をとったらとるだけ透き通る場所はどこ?
十代はいつか終わる 生きていればすぐ終わる
若さはいつも素裸 見苦しい程ひとりぼっち

生きててよかった そんな夜を探してる
生きててよかった そんな夜はどこだ

三郷がいやで、東京に出たのは20歳の時分だった。



初めての一人暮らしは池袋の三畳間で、本当にボロかった。
恋人ができて、目白に住まわせてもらったり、愛知についてったりした挙句、また池袋に戻ってきたとき自分は22歳だったと思う。



暮らしているうちに池袋がいやになった。複数台のパトカーに追われてる男を見たのもショックだった。
ルームシェアサイトで見つかった部屋は日野市だった。3年ほど住んだけれど、なかなか居心地がよかった。
郊外の居心地のよさが気に入ってその次も隣町に越した。

隣町は多摩と府中の中間にあった。
これだと選んだ物件は風通しが悪かった。しばらく住んでみたが、思ったほどいい物件ではなかった気がする。そんな折におばけを名乗るようになった。



28の時に仕事を辞めた。
仕事を辞めたもののこのまま転職するのも違う気がした。どこかに行きたいのか、どこにも行きたくないのか分からない。おばけを名乗っていたらいつの間に、自分はおばけになりつつあって、それが非常に心もとなかった。

ベルリンに行ったのはやけくそといえばやけくそだったと思う。
数ある海外の都市の中でベルリンを選んだ理由は特にない。どこでもいいといえばどこでもよかった。
ただ、おかげで29歳、30歳の2年はかけがえのない経験ができたと思う。



自分は、結局おばけでいいんだと思った。ここかと思えばあそこに、あそこかと思えばそこに、正体不明の胡乱なフットワークだからこそできる方法があると思った。今なお考え続けているそれは、少し素敵なライフプランであり、なんかいい感じのビジネスモデルのような気がする。

先日、ベルリンから三郷に戻った。
今も住み続けている友人たちは、けっこう住み心地いいよと言う。深夜の商店街でコーヒーを飲んだら、受験勉強の頃を思い出した。

東京も、ベルリンも、素敵な街だったけど、地元は地元で他にない良さがあるのだと、試しにそう思ってみて、日々確かめながら暮らすつもりだ。もちろん、東京にもベルリンにも戻るつもりはあるけど、まずはここから。実家のボロボロの書庫を仕事場に改装している。

色んな町に住んで、色んな仕事に就いて、色んな恋をして
どれも嫌になったから離れたように思っていたんだけど
本当はどれも好きだった。

そう思える今は、もうすぐ31になる。
10年経って一周した。

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