過ぎていく季節はものすごい速さで遠ざかるのに、その最中にいると遅々として進まない。
永くて目まぐるしい冬に、窒息しそうな焦燥にやられていた。
政治にむかついたし、経済にむかついた。社会にいいようにやられている自分の不甲斐なさもくそだった。理想なんてものを思い描くほど、その熱は我が身を焼く。苦しいならそんなもの描かなければいい、という訳にはいかなくて、それがないと進めないし。
思ってた以上に、国の病理が根深い。まともな教育、まともな福祉、まともな行政なんて存在から疑う。そんな中で表現や文化のあり方もまた問われている。 そうあるべき創り手のスタンスはどこ?それをパッケージングする立場は?なんていうと大袈裟だけれど、演劇でもデザインでもやはり関心はそこに尽きる。
作者本介っていうかやまけんとは10年くらいのつきあいなのに、あまりお互いのことを知らない。俺の思うやり方ではないにせよ作り手ではあると思う。
そんなやまけんに10代のガールズバンドを紹介された。
演奏を見ながら、なるほど、この10年間で視えるようになったあれこれが視界で曇らせていたものを思い出した。
「懐かしさ」なんていうと安っちいのだけど、なんていうか言葉にできないいろいろなことを思った。だからこそやまけんは筆を執ったと思うし俺も制作を引き受けたんだと思うので、それ以上の言及はやまけんに預ける。
ジエン社
「30光年先のガールズエンド」
2015年4月8日(水)〜12日
早稲田小劇場どらま館
http://elegirl.net/jiensha
David Airey「デザイナーとして起業した(い)君へ。成功するためのアドバイス」 といううさんくさいタイトルの本を読んでいるのは書き出しが印象的だったからだ。「これはデザイナーを始めたばかりの自分にいってやりたいことを書きました」みたいな一節があった。タイトルの陳腐さとは裏腹に、思った以上に役立ちそうな本でよかった。
あの時の自分にいってやりたいことっていろいろある。40歳の自分だっていまの俺につべこべいってる。
過ぎていく季節はものすごい速さで遠ざかるのに、その最中にいると遅々として進まない。昨日はもう遥か彼方なのに明日はもう玄関にいる。
永くて目まぐるしい冬に、窒息しそうな焦燥にやられていた。
政治にむかついたし、経済にむかついた。社会にいいようにやられている自分の不甲斐なさもくそだった。理想なんてものを思い描くほど、その熱は我が身を焼く。苦しいならそんなもの描かなければいい、という訳にはいかなくて、それがないと進めないし。
思ってた以上に、国の病理が根深い。まともな教育、まともな福祉、まともな行政なんて存在から疑う。そんな中で表現や文化のあり方もまた問われている。 そうあるべき創り手のスタンスはどこ?それをパッケージングする立場は?なんていうと大袈裟だけれど、演劇でもデザインでもやはり関心はそこに尽きる。
作者本介っていうかやまけんとは10年くらいのつきあいなのに、あまりお互いのことを知らない。俺の思うやり方ではないにせよ作り手ではあると思う。
そんなやまけんに10代のガールズバンドを紹介された。
演奏を見ながら、なるほど、この10年間で視えるようになったあれこれが視界で曇らせていたものを思い出した。
「懐かしさ」なんていうと安っちいのだけど、なんていうか言葉にできないいろいろなことを思った。だからこそやまけんは筆を執ったと思うし俺も制作を引き受けたんだと思うので、それ以上の言及はやまけんに預ける。
ジエン社
「30光年先のガールズエンド」
2015年4月8日(水)〜12日
早稲田小劇場どらま館
http://elegirl.net/jiensha
David Airey「デザイナーとして起業した(い)君へ。成功するためのアドバイス」 といううさんくさいタイトルの本を読んでいるのは書き出しが印象的だったからだ。「これはデザイナーを始めたばかりの自分にいってやりたいことを書きました」みたいな一節があった。タイトルの陳腐さとは裏腹に、思った以上に役立ちそうな本でよかった。
あの時の自分にいってやりたいことっていろいろある。40歳の自分だっていまの俺につべこべいってる。
過ぎていく季節はものすごい速さで遠ざかるのに、その最中にいると遅々として進まない。昨日はもう遥か彼方なのに明日はもう玄関にいる。