electrongirl

ゆるく、ゆるーくありたいものです

合同会社elegirl代表、岡崎龍夫です。
大学生だった2004年から20年以上つけている思索の記録です。
未来の自分に手紙を書くつもりで書き溜めているため、それほど一般性はありません。

2015年05月

1年ほど前に父から頼まれたロゴデザインはなかなか妙な案件だった。

亡き祖母の実家は戦後の九州でも有数な大きな商店だったという。
今では記録もほとんどないが、父がわずかな資料をどこからか見つけ出した。祖母の話や資料によるとその商店は「まるせ」という店名で、円にひらがなの「せ」が看板だったという。僕への依頼は、要は、その看板のロゴの制作依頼だった。

僕が生まれたときには既に無くなっていたであろうその店のロゴの制作。
「なんじゃそりゃ」とは内心思いつつ、3パターンほど提案を出し、そのうちの1案を制作し渡した。
数回の修正はあったものの、普段作っているようなものと比べると非常にシンプルなロゴになった。

それからしばらくして福岡へ法要に行った。
祖母方の先祖の墓に参る人は少ないのだろう。磨きがいのあるくらい汚れていた。
霊前で僕の作った「まるせ」のロゴを供える父を見つつ、親子での先祖孝行ができたような気になった。

maruse


その店があった当時は、お祭りになると「まるせ」のはっぴを着た人たちが神輿を担いだり音頭をとったりしていたそうだ。実際の看板と差異もあるかもしれないが、少なくとも曽祖父について僕ら親子が想像を補完する糸口になったのだとも思う。できについては未来あの世でコメントしてもらおう。

そんな経験を思うと、過ぎたものであってもデザインなりパッケージを与えるという仕事、これはこれで価値のあることなんだと思う。

春を味わういとまもなく暑い。
4月はゆっくりするつもりがやはりてんやわんやだった。
てんやわんやてんやわんやしているうちに老いていくのはやだな。

人と人が知り合って、近づいて、だんだん会わなくなることについて、他人とは消費なのではないのかと考えてみた。同じ時間を共有しているあいだ、僕は君を消費しているし、君は僕を消費している。とどのつまり、誰においても自分以外はほとんどが通過点のような存在なのではないだろうか、と。だってそう考えたほうが別離も許容しやすい。
去年の出会いと別れの数はかなり多かった。

乾杯の数だけ人生は豊かになるのではないかとおもっていたら、実際にヨーロッパのことわざにあるらしい。

あいかわらず、おばけのままでいる。
正体不明の胡乱な神出鬼没。自分で言ってしまえば陳腐だけどいい加減その性分は自覚もある。
出会いの数が多いほど「あなたは何ものなんですか?」という問いも多い。果たして自分が何者なのかを語れる奴が世の中にどれだけいるかは謎だけど。もう、平然と「おばけですよ」と顔色を変えずにいってもいいだろうってくらいプロフィールが説明しづらい。このプロフィールの説明のしづらさがユニークな価値だと思うようにしている。孫に面白い話するために生きてる人生だから、過程はなんだっていいだろ。

最近ちょっと引きこもってお笑いばっか見てたんだけど、
大喜利とデザインとをむりくり結び付けて考える。「お題」へのアプローチを考える。コンセプトから外れすぎてもいけないしアイディアの大胆さも求められる。なによりどれだけいいアイデアを持ってしても出力の仕方(声の抑揚など)の技術部分に大きく依存する。ここはまた、自分の課題でもある。そんな風に、おもしろいものとしてデザインを考えていけたら、出力していけたらと思うし、なにより、若輩者の俺にそれを期待してくれるお得意先の存在が支えになっている。

このページのトップヘ