electrongirl

ゆるく、ゆるーくありたいものです

合同会社elegirl代表、岡崎龍夫です。
大学生だった2004年から20年以上つけている思索の記録です。
未来の自分に手紙を書くつもりで書き溜めているため、それほど一般性はありません。

2016年07月

幸福な日々のことをたまに考える。それは食卓だったり、ソファでまどろみながら見る映画だったり、植物に水をやることだったりの、実に休日的なイメージなんだけど。そんな生活が、かつてあった気もするし未だないような気もする。

毎日毎日世界の腫瘍みたいな面ばかりが目につく。きっと、テクノロジーの発展と同じスピードで病理も進行中で、人類の文明がもう1ランクアップデートする頃には、ものすごいディストピアになってるんじゃないかと疑ってしまう。もしかしたら古代エジプトの頃から社会は進化と退化の両方を同時に獲得して、右脚を出した分左脚が後ろに出て、実は未だにどこにだって進めていない気がする。所在不明のユートピアを追っている暗夜行路の船舶みたいに、選挙と議論と葛藤が繰り返されながらうだうだ生活している。

世界はきっと良くならないなあというのが最近の所感で、正直次の世代に快適な社会を提供する自信はそんなになくて、せめてユーモアの花だけは自分の中で育てておきたい。
金で買えない大いなる価値だ。それさえ芽吹けば、どんな環境でも鬱屈としないで済むかもしれない。東京で高い建物ばっか見て暮らして鬱屈をやや抱えてしまった。高幡不動での生活は金こそなかったが本当に気持ちのいい時間だったことを、最近よく思い出す。
世界がいかに立ち往生してようが自分は歩まなくてはいけないので、そんな経験をヒントに、そろそろ次の方向を考えはじめよう。

相模原の事件で、犯人の手紙に「障害者は不幸を作ることしかできません」という文言があった。障害者の苦労も障害者の周囲の苦労も想像するには余りあるけれど、とりあえず他人の幸不幸を他人がどこまでジャッジできるんだろう。そういう、おこがましさを感じた。この事件について、大人が子どもに、政治が国民に、何を語るのかは実に興味深い。

毎日毎日世界の腫瘍みたいな面ばかりが目につく。暗い夜に浮かぶ月のように幸福は向こう側に横たわる。それは食卓だったり、ソファでまどろみながら見る映画だったり、植物に水をやることだったり。そんな生活が、かつてあった気もするし未だないような気もする。それはきっとそう遠くない。いつの間にか(明日にでも)手に入ったりしているもので、その中でまた新しい幸福を夢に見たい。

いたずら心は大事にしている。
たとえ先生を怒らせようが、変な落書きをデーンとだしてそれをみて大人が怒ってる様を見て、僕らはゲラゲラ笑っている。

大人になるにつれ、その「いたずら」の解釈の幅が広くなったんだと思う。大人を怒らせることが、例えば顧客の購買欲を掻き立てるだとか、事業を促進させる、だとかそういうのに取って代わったのだとおもう。
描いてるのは相変わらず変な落書きで、ぱっと見ちゃんとしててもとりあえず変なガキが描いている。

広告は面白いという嘘を死ぬまでつき続けたい。この仕事を志す若者が一人でも増えるように。現実に直面し愕然とするだろう。だけどその現実の壁を乗り越え、もう一度綺麗事に軟着陸する、そんな一握りの若者の可能性にバトンを繋ぎたい。(箭内道彦)

僕の生業は、要はイラレとフォトショとhtmlで大喜利のフィリップ描いてるのようなもんだ。そんなものに請求書を発行させてもらえるのは幸せなことだなあと思う。
全力でふざけさせてもらえる機会は稀だけど、ほんとはちょっとでもアホな仕掛けを作りたい。

そう願っている。
広告屋のガキです。

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