人間は感動するために生きている
という新井英樹の言葉を愚直に信じている。
金と時間は、それを獲得するための手段だと思う。
そういうツールを「資産」と呼ぶことにする。
金と時間を自分の喜びのために遣える状態が「豊かさ」だ。
金は有り余っているが使う時間がない状態と、時間はいっぱいあるが金がなくて行動ができない状態は同じようなものだ。
(前者のほうが、豊かさへはシフトしやすい気がする)
新幹線で旅行すれば、現地に滞在する時間を最大化できる。各駅停車で行けば、風景の地理的な遷移をゆっくり眺められる。どちらに感動があるかは決められるものじゃないと思う。
要するにうだうだやるっていうのは、そういう贅沢なのだと思う。
感動の獲得手段(資産)として、金と時間を上げたが、問題点もある。金と時間があるからといって感動に出会えるとは限らないということ。例えば、こちらの感受性が死んでいたらというケース。
そういう意味では感受性も「資産」に該当するだろう。健康もそうだ。
男性の場合、その2つはおちんちんに顕在化する。
健康と感受性のどちらかが欠落していれば、おちんちんはおギンギンにならないのだ。
やがて、僕も年老いて僕のガチャピンもムックしなくなるだろう。けれど何歳になろうと、心にぶらさがっているおちんちんは、ふにゃらないようありたい。
という新井英樹の言葉を愚直に信じている。
金と時間は、それを獲得するための手段だと思う。
そういうツールを「資産」と呼ぶことにする。
金と時間を自分の喜びのために遣える状態が「豊かさ」だ。
金は有り余っているが使う時間がない状態と、時間はいっぱいあるが金がなくて行動ができない状態は同じようなものだ。
(前者のほうが、豊かさへはシフトしやすい気がする)
新幹線で旅行すれば、現地に滞在する時間を最大化できる。各駅停車で行けば、風景の地理的な遷移をゆっくり眺められる。どちらに感動があるかは決められるものじゃないと思う。
要するにうだうだやるっていうのは、そういう贅沢なのだと思う。
感動の獲得手段(資産)として、金と時間を上げたが、問題点もある。金と時間があるからといって感動に出会えるとは限らないということ。例えば、こちらの感受性が死んでいたらというケース。
そういう意味では感受性も「資産」に該当するだろう。健康もそうだ。
男性の場合、その2つはおちんちんに顕在化する。
健康と感受性のどちらかが欠落していれば、おちんちんはおギンギンにならないのだ。
やがて、僕も年老いて僕のガチャピンもムックしなくなるだろう。けれど何歳になろうと、心にぶらさがっているおちんちんは、ふにゃらないようありたい。