electrongirl

ゆるく、ゆるーくありたいものです

合同会社elegirl代表、岡崎龍夫です。
大学生だった2004年から20年以上つけている思索の記録です。
未来の自分に手紙を書くつもりで書き溜めているため、それほど一般性はありません。

2018年11月

人間は感動するために生きている
という新井英樹の言葉を愚直に信じている。
金と時間は、それを獲得するための手段だと思う。
そういうツールを「資産」と呼ぶことにする。

金と時間を自分の喜びのために遣える状態が「豊かさ」だ。
金は有り余っているが使う時間がない状態と、時間はいっぱいあるが金がなくて行動ができない状態は同じようなものだ。
(前者のほうが、豊かさへはシフトしやすい気がする)

新幹線で旅行すれば、現地に滞在する時間を最大化できる。各駅停車で行けば、風景の地理的な遷移をゆっくり眺められる。どちらに感動があるかは決められるものじゃないと思う。
要するにうだうだやるっていうのは、そういう贅沢なのだと思う。

感動の獲得手段(資産)として、金と時間を上げたが、問題点もある。金と時間があるからといって感動に出会えるとは限らないということ。例えば、こちらの感受性が死んでいたらというケース。

そういう意味では感受性も「資産」に該当するだろう。健康もそうだ。

男性の場合、その2つはおちんちんに顕在化する。
健康と感受性のどちらかが欠落していれば、おちんちんはおギンギンにならないのだ。
やがて、僕も年老いて僕のガチャピンもムックしなくなるだろう。けれど何歳になろうと、心にぶらさがっているおちんちんは、ふにゃらないようありたい。

言葉にすると陳腐になる。
形にすると別の意味を帯びる。
けれど、言葉にしないと伝わらない。
形にしないと伝わらない。

だからこそ、言葉や仕事の精度はあげる必要があり、感受性の解像度もあげる必要がある。そして、それらの価値を高めるには行動することしかできない。届かない恐怖を乗り越えながら有言実行していくことのみが、吐いた言葉に対しての投資だ。

悲しいかな基本的に、思いは届かない。
言葉も届かない。1/3どころか1/10も。
そして10回告げるといよいよ陳腐になる。
そんな風にできている。

そういう伝達のギャップを、意思の不疎通を乗り越えるためにまた、言葉を磨いたり、行動に踏み出したり、その作業が終わらないでいる。

目の前の人を笑わせたいときに、それが叶うのは、開花のように尊い。
性器の呼称や便の呼称だって連呼するし、変な声や顔も出し惜しみしない。
必要とあらば。

言葉にすると陳腐になる。
形にすると別の意味を帯びる。
通り過ぎていく事象や光景を同じ言葉で咀嚼できたら、その瞬間はあれだ。
陳腐にいうなればしあわせというやつだ。

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