electrongirl

ゆるく、ゆるーくありたいものです

合同会社elegirl代表、岡崎龍夫です。
大学生だった2004年から20年以上つけている思索の記録です。
未来の自分に手紙を書くつもりで書き溜めているため、それほど一般性はありません。

2019年05月

Ich bin Auslander leider zum Gluck. Ich bin Auslander leider zum Gluck.
Ich gehe irgendwann nach Hause zuruck. Ich gehe irgendwann nach Hause zuruck.
Mein Name ist Daisuke Isomich aus Japan.
Ich kam vor vielen Jahren aus Hiroshima hier an.
Berlin ist eine Wuste, aus Stein und aus Stahl.
Manchmal ist es gut, manchmal eine Qual.
Ich bin Auslander leider zum Gluck. Ich bin Auslander leider zum Gluck.
Ich gehe irgendwann nach Japan zuruck. Ich gehe irgendwann nach Japan zuruck.
Im Winter ist es kalt, im Sommer ganz schon heiss.
Die Curry Wurst ist lecker, doch ich esse lieber Reis.
Ich wohne in einer Wohnung, in Berlin Mitte und arbeite als Sushikoch, bitte bestellen Sie was bitte.
Ich bin Auslander leider zum Gluck. Ich bin Auslander leider zum Gluck.
Ich gehe irgendwann nach Hause zuruck. Ich gehe irgendwann nach Hause zuruck.
Leider spreche ich kein Deutsch, die Leute kein Japanisch.
Doch ich muss ja auch nicht, ich bin ja nicht arisch.
Oft will ich nach Hause, das ist nun manchmal so, Berlin ist zwar ganz schon, aber auch nicht Tokio.
Ich bin Auslander leider zum Gluck. Ich bin Auslander leider zum Gluck.
Ich gehe irgendwann nach Japan zuruck. Ich gehe irgendwann nach Japan zuruck.
Er ist Auslander leider zum Gluck. Er ist Auslander leider zum Gluck.
Er geht irgendwann nach Japan zuruck. Er geht irgendwann nach Japan zuruck. Er geht irgendwann nach Japan zuruck.
America likes me, it‘s OK. Russia likes me, it‘s OK. China likes me, it‘s OK.
Germany….I don’t know, I don’t know.
Ich bin Auslander leider zum Gluck. Ich bin Auslander leider zum Gluck.
Ich gehe irgendwann nach Japan zuruck. Ich gehe irgendwann nach Japan zuruck.
Ich bin Auslander leider zum Gluck. Ich bin Auslander leider zum Gluck.
Ich gehe irgendwann nach Hause zuruck. Ich gehe irgendwann nach Hause zuruck.
Vielleicht bleibe ich auch hier. Vielleicht bleibe ich auch hier, vielleicht bleibe ich, vielleicht bleibe ich, vielleicht bleibe ich auch hier.

町と城を見る旅をしてきた。

成田からモスクワ経由でフランクフルトへ。
フランクフルトに1泊してICE(長距離鉄道)で1時間、マンハイムで乗り換えて15分ほどでハイデルベルク到着。

1、ハイデルベルク - ハイデルベルク城

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ハイデルベルクは長崎とか神戸のような穏やかな町だった。ハイデルベルク城はその町の山間部入口にあった。
いつからあるかは不明、13世紀に存在していて、あらゆる諍いに巻き込まれたらしい。
今は老人のように物静かな佇まいを見せている。
城の内部には巨大なワイン樽があり、これはかつての栄華の象徴の一つ。ワインの試飲すればよかったな。

2、ベルリン

ハイデルベルクからフランクフルトへ戻りベルリンまでICEで移動。6年ぶりのベルリンには5日間滞在した。
ミッテやクロイツベルクを散策。噂に聞く通り開発は進んで物価は上がった様子だったが、変わった部分よりも、変わらないいい部分の方が多かった。
クラブや展示には行かなかった。そのかわりドラッグストアは多く行った。
公園や街路樹の多さを再確認した。都市における余白の多さが相変わらずのベルリンの魅力だと思う。

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2、プラハ - プラハ城

ベルリンから長距離バス(RadioJet)で4-5時間かけてプラハに到着。観光名所として名高い都市だが、本当にそう思う。360度どこを向いても絵になる街並み。カレル橋の賑わいとモルダウ川の風景。観光客でどこも溢れていた。

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プラハ城はプラハの北側で街を見下ろす形に位置していた。9世紀からあったとされる荘厳な城で、規模の大きさに驚く。チェコの観光産業は昔からこの城に支えられているのだろう。貫禄のある巨木のような存在だった。

3、クラクフ - ヴァヴェル城

プラハからクラクフはLEOエクスプレスというサービスで移動。プラハ中央駅から電車で国境の町ボフミーンまで4時間。その後3時間バスに揺られて到着。

クラクフは、プラハのような華やかさというよりは落ち着いた旧市街。ポーランド名物の陶器や衣料などが軒を連ねていた。ポーランドは食事が美味しいので食べ歩きが楽しい。

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ヴァヴェル城は13世紀からあるとされるクラクフの古城。隣に流れる川辺も含め穏やかで優しい佇まいに感じた。城下町との高低差が少ないせいか親しみやすさがある。
親しみやすさはあれど、内部は巨大な集合住宅のような規模があってまた圧巻される。
夕暮れの川沿いののどかな美しさが印象的だった。
滞在した民泊の宿がゲットー(かつてユダヤ人を隔離した地域)にあり、その寂れた街並みはクラクフの歴史の陰りの側面だったように思えた。

4、ワルシャワ - バルバカン

クラクフからEIPという長距離鉄道で3時間弱でワルシャワに到着。ワルシャワの観光名所「ワルシャワ歴史地区」は中央駅から徒歩30分程度。ワルシャワ自体は近代化の進んだシティであるが、その中に旧く美しい街並みが丸々残っている。バルバカン はその北側ある煉瓦の砦。生々しい赤レンガの迫力が面白かった。

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ワルシャワへの訪問は2回目。前回は真冬だったので今回は凍えずにゆっくり観光できた。ポーランドのここ数年の発展はすごいスピードなのだと思う。中心部は街中工事していた。

ポーランドから直行便で帰国。
終始トラブルがなかったのはラッキーだった。



色々なインパイアを享受して、これからどう生きようか、という話になる。
フットワークを保ちながら定めるべきを定める、というのが大事だと思う。

30代になった直後に帰国して、先日36歳になった。30代前半の目標は大まかにクリア。新しい5年の目標を立てようとしている。

5年ぶりにドイツに来た。
妻を連れての渡航なので長いフライトも言うほど長く感じずにいれた。

フランクフルト空港からハイデルベルク城へ。歴史に疎くとも興味を持ってしまうほど立派な場所だった。訪ねてよかった。

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ICEでベルリンへ向かう車窓で山々や城や街並の風景が見られた。まるでファンタジーな風景の中にも沢山の生活がある。一生のうちにどれだけの生活に触れられるだろう。

ベルリンには5日間滞在した。
ドネルケバブ、カリーブルスト、ブラッドブルスト、アイスバインなどの定番ドイツ料理を食べ、東側を周遊した。werderやteufelsbergなんかにピクニックしに行きたくはあったが時間が足りずに断念。ヴィクトリアパークに行けたのはうれしかった。
懐かしい人たちにも会えた。

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あの頃と同じ感じでまた住むことにはならないだろう。次ベルリンに住むとなったらまたそれは別のスタイルでの滞在になるんだろう。街も自分もちゃんと変わったのだ。幸いなことだ。

プラハに向かうバスの中でこの手記を書いている。隣の妻は寝ている。

自分の日常がどうあるべきか考えるために、日常から遠く離れる機会が有用だ。ヒントを得られる。この旅の後にまた岐路に立とうと思う。

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