結局人間にとってなにが尊いのか。ある人は富と言い、ある人は知性と言い、またある人は愛であると言う。富の形も知性の形も愛の形も人それぞれ違うから問題はことさらに厄介だ。
そんなふう考えていくと終わらない言葉の因数分解を繰り返すことになる。きっとその作業を哲学と呼ぶのだろう。
尊ぶべきは、自分の持つ人生の価値観だ。
まずこれを前提とする。
自分の人生観を尊ぶことは、他人のものもそれなりに尊べるはずだ。自分のそれが不可侵であるなら同時に他人のそれも不可侵であって然るべきだ。
さて、そこに相容れない状況が発生する。
片方の価値観により、もう片方の価値観が否定されると言う二律背反。この問題において正しさとは何か。
正しさと正しさがぶつかると争いが起こる。正しさは何かを守ることにつながっているので、争いにおいてはお互いが守りたいものの正体を読み解き、その価値を比較する必要がある。
その上で、納得と公平の量が最大化できるものが最適解だとすると、この命題は真だろうか?
最適解の導き方に条件を加える必要があるのかもしれない。
まず、暴力や強要の上で得られる納得は計測から外れる。
多数決的なものであってもいけない。最適解によって誰かが被る不利益についても熟慮し軽減させる必要がある。
こんなところだろうか。それくらい考えた上で導かれる最適解なら、もうそれが限界じゃないかな。
*
ここからは私信になる。
少なくとも俺はそういう方程式に則って言動と行動を判断している。少なくとも今回の件については。
最低限俺の中で守るべきものだけを守った結果が現在の状況だ。
あなたは
知を尊ぶには了見が狭い。哲学を尊ぶには感情を飼い慣らせていない。誰の非がどこにあるかを理解する想像力もなければ、問題解決のための処理能力も足りない。
「優秀でない人間と付き合う必要はない」というそちらの陳腐なマインドに則すなら、間違いなく俺は、
愚鈍であるそちらと付き合う必要はない。
残念なくらい凡庸である人間が自分に知性があると思い込んでいるのはつまり、愚鈍ということだ。
人と人との最適解がどこにあるかは今後も考え続ける。
悔いと負いとして背負ったぶん、誰かの救いと笑いをつくる。いつかあの時こうすればよかったのかもと考えられたらそれでよしとするが、その顛末はそちらが知らなくてもいいのだ。
あきらめよう。
もう我々は、これ以上をあきらめましょう。
*
春のうごめきを感じられるのは幸せだ。
殺伐としながらもどこかにそれを感じる余裕が持てていることが大事だ。心が感情で単色に塗りつぶされる事だけは避けて生きたい。様々な色を持ちながら、塗り残しがあるくらいがきっといいんだ。
そんなふう考えていくと終わらない言葉の因数分解を繰り返すことになる。きっとその作業を哲学と呼ぶのだろう。
尊ぶべきは、自分の持つ人生の価値観だ。
まずこれを前提とする。
自分の人生観を尊ぶことは、他人のものもそれなりに尊べるはずだ。自分のそれが不可侵であるなら同時に他人のそれも不可侵であって然るべきだ。
さて、そこに相容れない状況が発生する。
片方の価値観により、もう片方の価値観が否定されると言う二律背反。この問題において正しさとは何か。
正しさと正しさがぶつかると争いが起こる。正しさは何かを守ることにつながっているので、争いにおいてはお互いが守りたいものの正体を読み解き、その価値を比較する必要がある。
その上で、納得と公平の量が最大化できるものが最適解だとすると、この命題は真だろうか?
最適解の導き方に条件を加える必要があるのかもしれない。
まず、暴力や強要の上で得られる納得は計測から外れる。
多数決的なものであってもいけない。最適解によって誰かが被る不利益についても熟慮し軽減させる必要がある。
こんなところだろうか。それくらい考えた上で導かれる最適解なら、もうそれが限界じゃないかな。
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ここからは私信になる。
少なくとも俺はそういう方程式に則って言動と行動を判断している。少なくとも今回の件については。
最低限俺の中で守るべきものだけを守った結果が現在の状況だ。
あなたは
知を尊ぶには了見が狭い。哲学を尊ぶには感情を飼い慣らせていない。誰の非がどこにあるかを理解する想像力もなければ、問題解決のための処理能力も足りない。
「優秀でない人間と付き合う必要はない」というそちらの陳腐なマインドに則すなら、間違いなく俺は、
愚鈍であるそちらと付き合う必要はない。
残念なくらい凡庸である人間が自分に知性があると思い込んでいるのはつまり、愚鈍ということだ。
人と人との最適解がどこにあるかは今後も考え続ける。
悔いと負いとして背負ったぶん、誰かの救いと笑いをつくる。いつかあの時こうすればよかったのかもと考えられたらそれでよしとするが、その顛末はそちらが知らなくてもいいのだ。
あきらめよう。
もう我々は、これ以上をあきらめましょう。
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春のうごめきを感じられるのは幸せだ。
殺伐としながらもどこかにそれを感じる余裕が持てていることが大事だ。心が感情で単色に塗りつぶされる事だけは避けて生きたい。様々な色を持ちながら、塗り残しがあるくらいがきっといいんだ。