electrongirl

ゆるく、ゆるーくありたいものです

合同会社elegirl代表、岡崎龍夫です。
大学生だった2004年から20年以上つけている思索の記録です。
未来の自分に手紙を書くつもりで書き溜めているため、それほど一般性はありません。

2020年05月

コロナの影響でちょっと楽しみにしていたイベントというか予定がぽしゃった。
次計画できるとしたら数年後か。気持ちが落ちた。
損失出てないだけましだ。何より健康を維持できていることが尊いんだ、
と言い聞かせてみるものの、大きく振りかぶってファックユーをウイルスに投げつけたい気持ちだ。

「しゃーない」と言ってみた。
「しゃーないしゃーない」とブツクサ言いながらヤケクソで酒を飲んで、深夜にパスタを茹でた。酔っ払って計量する気も起きず、適当につくったら塩加減を完全に間違えた。

また「しゃーない」と言ってみた。
塩辛かった。

マスクは効果があるのか?
PCR検査数は増やすべきか?
封鎖はいつまで実施すべきか?
そもそもするべきだったのか?
保障が十分でない政治は悪か?
アーティストは、もしくはその業界は何をすべきか?
検察庁定年延長は適正か隠蔽か?
風俗嬢の増加を望む発言を許せるか?
陽性反応があるのに奔放な行動をとった人間を許せるか?
学校は9月始業式にするべきか?

議論すべき項目が大量にあって、これらをまともにやるだけで仲悪くなるには十分。

思考放棄と思考停止を嫌悪している。
「俺には難しいことわかんね」ってポイする気持ちがクソみたいな社会を生むし、与党支持であれ野党支持であれ反対派の意見に聞く耳を持たなければこれも結局クソみたいな社会を生む。そのスタンスを「自分を信じている」とは言わない。

歩み寄るというのは非常に美しい言葉だけど、歩み寄りかたというのはなかなか身につかない。それを身につけるのは数学なんじゃないかと思う。個々人の獲得の最大値はどこにあるか?という計算をすると大概痛みを伴いながら歩み寄ることが最適解だったりする。

白黒を決めるよりグレーを決めるために議論があるのだと知るべきだ。そのためには哲学のような答えのない問いを殴り続けることも必要だ。

数学と哲学だな。今回のコロナ禍の中でゲーム理論の応用に興味が湧いている。
いま読んでいる本が終わったらトライする。

久しぶりに電車に乗った。
川口で開業している幼なじみに呼ばれ、WEBについての相談をうけに行く。

我々が生まれ育った街の話をした。
我々が卒業した小中学校は隣に汚水処理場が隣接していて、南風が吹くとその匂いが立ち込める点でろくな学習環境ではなかった。
家賃の安い団地の物件には訳ありの家庭も多かったように思う。
友人は言う。
「みんながみんなサッカーやるような街だったらそりゃサッカーやるでしょ。みんながみんな勉強やらねーんだもん、そりゃやらねーよ。
むしろあの街で勉強やってた龍夫すげーよ」
確かにそんな街だった。友人は二十歳を前にしてヤンキーから脱却し勉強を始めた。ちょうどその頃俺は勉強を辞めた。

人生の価値に読書量が与える影響は大きい。
語彙とその精度によって、認識がまるで変わってくる。
「腐っている」と言う観念を知らないと腐った食べ物を口にして腹を壊す。時として知らないことは致命的だ。
数学やプログラミングの領域も語彙と言えるかもしれない。
とにかく自分が今饒舌に立ち回れているのはその当時の勉強や読書の貯金も大きい。

観念と言葉は、中身と器の関係なのかもしれない。言葉を知ることでその観念を知る。
あるいは体験によって観念を得て後々に言葉を認識するケースもあるはずだ。
何にせよ語彙と体験によって観念が創出され、観念を知れば知るほど世界は違う色を帯びる。
尊敬に値するのは、世界の様々な色を知っていたり、世界の様々な物差しを知っている人だ。
そんな人は状況に応じて最適な方程式を作り出せるのだと思う。

自分が街で語彙を増やしていた頃、友人は人生のしみったれた面をみていた。
友人が面学に勤しんでた頃、俺は東京でしみったれていた。
まあここら辺の蓄積は、コロナの時世にはなお価値になる。

なんだか街の緊張感は以前より薄らいでいるように思う。
第二波が来るとか来ないとかの噂もある。米中の戦争は起こるのだろうか。
平和を願う側面、心のどこかでカタストロフを少し望んでいる。
調子こいた与党は糾弾されまくっててほしいし、一人ひとりの真価が問われる状況は面白い。
世の中を再検証すると言う意味においてはいい機会だ。
死や病気なしでそれができたら言うことなしなんだが。


自宅作業と散歩。

検察庁法改正案についてTwitterがすげー盛り上がってる。もちろん反対。
「検察庁法改正は当然の手続きなので陰謀論とか深読みしすぎ」って言う意見もあるが、違うと思う。
怪しい奴らが怪しい動きしてるからやめろ。
ほんとこれに尽きる。

もう現在の政権の功績と失敗を逐一考えるのも疲れた。
むかつくやつは支持しない、それだけだ。
どれだけいい政治をしていても俺は首相の顔が嫌い。言動が嫌い。立ち振る舞いが嫌い。
かつての都知事選で舛添を支持しなかったのもそれ。
もうそれでいい。人相が改善してきたら考え直してやる。
あんな人相のやつに税金を取られていることを考えただけで壁を殴りそうだ。

とかく、世の中はキレッキレだ。
もっともっと日本の信用を地に落として、転換だ。
大貧民で言う革命が起こればいい。
調子こいた奴らが這いつくばればいい。

ずるい考え方
木村 尚義
あさ出版
2011-05-24



面白いエピソードは幾つかあったが、
非常に浅いところをなぞっているだけの軽薄な本だった。

去年のGWは新婚旅行をしていた。一年後にこれほどまでインドアな生活をしているのは予想外だ。
昨夜の晩酌で二日酔い。昼に目が覚める。

甲斐が店長を務める沖縄居酒屋ぬちぐすいのミールキットが届いたので、購入したソーキソバは食べる。美味しかった。おすすめできる。そして飲食やってる友達がこういう施策やってくれるのはうれしい。がんばれ。




妻にphotoshopを教える。ようやく一区切りついた。

夕食はトマトと日本酒のカレー。
癖のある酸味のカレーだ。
ハヤシライスに近いかもしれない。




コロナのニュースで興味深かったもの
超過死亡という考え方

国際比較に使える唯一の指標「超過死亡」で明らかになる実態

なるほど!という印象。とにかく手洗いとうがいの効果がどれだけすごいかという話だ。

Humoresqueというお気に入りのカフェでアイスコーヒーを買って買い物がてら散歩。
夕立に降られた。
帰宅後妻にphotoshop講座。

夕食はバクテー。1月にマレーシアで食べたやつだ。
相変わらずクセのある美味しさだった。あの頃の世界が懐かしい。

数学の本読了。




数学の面白さや価値が少し再体験できる本。中学生に読ませたい。
数学は多段思考力を鍛えるという。多段思考力っていい言葉だなと思った。

隣町の評判のパン屋まで歩いてみた。いつも行列ができているパン屋だが、このご時世でも行列ができていた。もちろんソーシャルディスタンスは保たれているが、圧倒的な実力を感じた。
夕食はたこ焼き。公開されている動画の「goodwill中野支店」を観たあと、御笠ノの配信を観る。今日の視聴者数は1800人くらいいた。日曜の25時過ぎなのに、こちらも圧倒的な注目度だと思う。

戦時下にして思うこと。
今回のコロナ禍において世界の3割の人がそれまでの日常を失うそうだ。
日常を維持できる7割にいるうちは、その日常に感謝をしよう。今回、日常の尊さは世界中で見直されている。家族と家にいること、いつもより自炊をすること、自粛生活の中で手の届く範囲のものを楽しむこと、その尊さを実感するにはいい機会だ。
不安や怒りに流されないためにも、足場に目をやってしっかりと生活に立脚しようと思う。

午前中はGarage Bandで一人ゴスペラーズみたいなトラックを制作して遊ぶ。
午後からは部屋の片付けをしていた。
書籍はこの際自炊しようかと思っている。

片付けのあと散歩。柏スタジアムまで1時間ほど歩く。バテた。
ウォーキングする人が街に増えた気がする。

地元の友人たちからオンライン飲み会をやってみたいという話を受け、実行。
まあまあ楽しかった。
その後みなみさんとオンラインでつないでドラマを見る会。
新鮮さがまだある。

充実した一日だった。

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