父は俳句や短歌の世界でちょっと名が知られていた。
そんな家に生まれたので小4の頃から週に10句の俳句を作るノルマを課された。でも、これが詩作の才能を伸ばすことにつながったかというと、全然そんなことはなかった。ただ、父の機嫌をとるために作っていただけでむしろ創作は嫌いだった。
ただ、最初は言われるがままにやっていた作業だったが、いろんな句集を読むうちに好きな俳人ができた。でも同時に、父の作品がどうにも好みじゃないこともハッキリしてきた。むしろ、彼の作品はわざとらしくて作った感が強い」。ついぞ自分の心には響かなかった。
その違和感は俳句の世界全体にも広がっていった。俳句って長い歴史をもつわりにほとんどの人プレイヤーがアマチュアで、生活の糧にしてる人がほぼいない。どんなに名前が売れても収入にはほぼつながらない。趣味から先に行かないアマチュアの寄り合いみたいな閉鎖性がある。
演劇のプロデューサーとして仕事をするようになり、気づいたら、俳句の世界で有名だった父より、演劇の世界で無名な自分のほうがずっと稼いでいた。演劇の世界も決して楽ではない。
閉鎖的な部分もあるし、人間関係や評価の仕組みにはいろんな問題がある。でも、それでも俳壇よりマシなのは、ちゃんとお金が動いてることだ。チケットの売上、スポンサー、補助金…少なくとも「仕事」として成り立つ仕組みがある。趣味の延長で成立している世界とは決定的に違う。
数年前にプロデュースしていた劇団が、演劇の世界で名誉ある岸田賞を受賞した。それを知った父の一言は「お前が取ったわけじゃない」だった。確かに岸田賞は劇作家に贈られる賞であって、プロデューサーが直接もらうわけではない。でも、演劇って作家だけのものじゃなくて、演出家や俳優、スタッフ、プロデューサー、みんなで作り上げるものなんだよな。
作家だけが作品を作るわけじゃない。
アマチュアで表現をやってるプレイヤーには、マジでそこらへんの教養がないことが多い。
単に知識が少ないって話じゃなくて、論理的な考え方に欠ける。趣味でやってるやつが、金を得てるやつに向かって偉そうに語るな。
プロとアマの間には明確な線引きがあり、それを無視するやつが多すぎる。
そんな家に生まれたので小4の頃から週に10句の俳句を作るノルマを課された。でも、これが詩作の才能を伸ばすことにつながったかというと、全然そんなことはなかった。ただ、父の機嫌をとるために作っていただけでむしろ創作は嫌いだった。
ただ、最初は言われるがままにやっていた作業だったが、いろんな句集を読むうちに好きな俳人ができた。でも同時に、父の作品がどうにも好みじゃないこともハッキリしてきた。むしろ、彼の作品はわざとらしくて作った感が強い」。ついぞ自分の心には響かなかった。
その違和感は俳句の世界全体にも広がっていった。俳句って長い歴史をもつわりにほとんどの人プレイヤーがアマチュアで、生活の糧にしてる人がほぼいない。どんなに名前が売れても収入にはほぼつながらない。趣味から先に行かないアマチュアの寄り合いみたいな閉鎖性がある。
演劇のプロデューサーとして仕事をするようになり、気づいたら、俳句の世界で有名だった父より、演劇の世界で無名な自分のほうがずっと稼いでいた。演劇の世界も決して楽ではない。
閉鎖的な部分もあるし、人間関係や評価の仕組みにはいろんな問題がある。でも、それでも俳壇よりマシなのは、ちゃんとお金が動いてることだ。チケットの売上、スポンサー、補助金…少なくとも「仕事」として成り立つ仕組みがある。趣味の延長で成立している世界とは決定的に違う。
数年前にプロデュースしていた劇団が、演劇の世界で名誉ある岸田賞を受賞した。それを知った父の一言は「お前が取ったわけじゃない」だった。確かに岸田賞は劇作家に贈られる賞であって、プロデューサーが直接もらうわけではない。でも、演劇って作家だけのものじゃなくて、演出家や俳優、スタッフ、プロデューサー、みんなで作り上げるものなんだよな。
作家だけが作品を作るわけじゃない。
アマチュアで表現をやってるプレイヤーには、マジでそこらへんの教養がないことが多い。
単に知識が少ないって話じゃなくて、論理的な考え方に欠ける。趣味でやってるやつが、金を得てるやつに向かって偉そうに語るな。
プロとアマの間には明確な線引きがあり、それを無視するやつが多すぎる。