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ゆるく、ゆるーくありたいものです

合同会社elegirl代表、岡崎龍夫です。
大学生だった2004年から20年以上つけている思索の記録です。
未来の自分に手紙を書くつもりで書き溜めているため、それほど一般性はありません。

2025年02月

父は俳句や短歌の世界でちょっと名が知られていた。
そんな家に生まれたので小4の頃から週に10句の俳句を作るノルマを課された。でも、これが詩作の才能を伸ばすことにつながったかというと、全然そんなことはなかった。ただ、父の機嫌をとるために作っていただけでむしろ創作は嫌いだった。
ただ、最初は言われるがままにやっていた作業だったが、いろんな句集を読むうちに好きな俳人ができた。でも同時に、父の作品がどうにも好みじゃないこともハッキリしてきた。むしろ、彼の作品はわざとらしくて作った感が強い」。ついぞ自分の心には響かなかった。
その違和感は俳句の世界全体にも広がっていった。俳句って長い歴史をもつわりにほとんどの人プレイヤーがアマチュアで、生活の糧にしてる人がほぼいない。どんなに名前が売れても収入にはほぼつながらない。趣味から先に行かないアマチュアの寄り合いみたいな閉鎖性がある。

演劇のプロデューサーとして仕事をするようになり、気づいたら、俳句の世界で有名だった父より、演劇の世界で無名な自分のほうがずっと稼いでいた。演劇の世界も決して楽ではない。
閉鎖的な部分もあるし、人間関係や評価の仕組みにはいろんな問題がある。でも、それでも俳壇よりマシなのは、ちゃんとお金が動いてることだ。チケットの売上、スポンサー、補助金…少なくとも「仕事」として成り立つ仕組みがある。趣味の延長で成立している世界とは決定的に違う。
数年前にプロデュースしていた劇団が、演劇の世界で名誉ある岸田賞を受賞した。それを知った父の一言は「お前が取ったわけじゃない」だった。確かに岸田賞は劇作家に贈られる賞であって、プロデューサーが直接もらうわけではない。でも、演劇って作家だけのものじゃなくて、演出家や俳優、スタッフ、プロデューサー、みんなで作り上げるものなんだよな。
作家だけが作品を作るわけじゃない。
アマチュアで表現をやってるプレイヤーには、マジでそこらへんの教養がないことが多い。
単に知識が少ないって話じゃなくて、論理的な考え方に欠ける。趣味でやってるやつが、金を得てるやつに向かって偉そうに語るな。

プロとアマの間には明確な線引きがあり、それを無視するやつが多すぎる。

少子化の進行は深刻な課題と言われる。
政策がなんとかすべきだとか、経済的に支援しろとかいう意見が飛び交うが、ほんと?
経済面より、結婚観や恋愛観の変化の影響が大きいんじゃね?

結婚観の変遷



かつての世界では、結婚は家同士の結びつきや経済的安定を目的とした「社会のシステム」として機能していた。お見合いや親の意向によって結婚相手が決まり、個人の恋愛感情は二の次とされていたわけだ。しかし、現代では自由恋愛が主流となり、結婚は恋愛の延長線上に位置づけられるようになった。この変化により、結婚は個人の選択や感情に大きく依存するものとなった。
自由恋愛の普及に伴い、恋愛市場における競争が激化。
特に、恋愛や結婚において「魅力的」とされる要素(収入、容姿、コミュニケーション能力など)を持つプレイヤーに人気が集中し、それ以外の人々は恋愛や結婚の機会を得にくくなった。
この現象は「恋愛格差」とも呼ばれ、一部の人々だけが結婚の機会を得る状況を生み出した。
このような競争の激化により、結婚を「勝ち取る」ことが難しくなり、結果として未婚化が進行している。国立社会保障・人口問題研究所の調査によれば、「一生結婚するつもりはない」と考える未婚者の割合は増加傾向にある。結婚する人が減少すれば、当然ながら出生数も減少し、少子化が進行することになる。また、結婚に対する価値観の多様化や、結婚しないことへの社会的許容度の上昇も、未婚化の背景にある。

先進国で少子化と呼ばれる問題は正しくは未婚化と呼ぶべきである。
女性の社会進出を批判する必要はないが、未婚化は抱き合わせでやってくると予測すべきだったとろう。経済的な側面を省いて男性は「魅力的」である必要が課された。
男尊女卑とかぶっこいて、でかい顔する時代はもう終っていたのだ。

SNSを見ていると、日本の政治に対して常に怒っている人が目につく。
そういう人ほど生きづらそうに見える。
確かに政治には課題が多いし、不満を持つのは理解できるが、四六時中キレていても現実は変わらない。むしろ怒りを抱え続けることで、自分の視野が狭くなりストレスが溜まるだけだ。

そもそもこういう人たちはごく一部のマイノリティに過ぎない。
SNSでは声の大きい人が目立つためまるで世の中全体が怒っているように見えるが、実際のマジョリティは黙って生活している。多くの人は「政治に不満はあるけど、いちいち騒ぐほどではない」と思っているのが現実だ。

政治を変える前に生活を変えろ



日本の制度は時間がかかるが、確実に改善している。
それなのに「この国は終わってる」と叫んでいるだけでは何も変わらない。それより、自分の生活を改善する努力をしたほうがよっぽど現実的だ。例えば、資格を取る、スキルを身につける、転職を考えるなど、やれることはいくらでもある。政治がどうあれ自分の努力で環境を良くすることはできる。

さらに日本に絶望しているなら、海外移住を検討するのも一つの手だ。しかし、そういう人に限って外貨預金すらせず、英語の勉強もしない。憂国するならまずは資産を守る行動を取るべきではないか?日本円の価値が不安だというなら、外貨建て資産を持つなり、投資をするなり、具体的な対策を講じるのが筋だ。

文句を言うだけでは何も変わらない



結局のところ、SNSで政治にキレている人は「敵を探すこと」に夢中になっている。
政治を変えたいなら、建設的な議論をするか、実際に行動するしかない。それができないなら、せめて自分の生活を改善する方向にエネルギーを使ったほうが賢明だろ。

文句を言ってるだけでは、結局何も変わらないし、自分自身が消耗するだけ。まずは現実的な行動を取り、自分の環境を良くすることにフォーカスしよう。それが結果的に、より良い社会につながるはずだ。

人類の誕生:神を想像できる猿


人類と他の動物を分けた決定的な違いは何だったのか?
言語、道具の使用、火の利用、協力の仕方……様々な要素が挙げられるが、本質的な転換点は「神を想像できるようになったこと」という。

生物学的には、人間は類人猿から進化した。だが、進化の過程で「目の前にないものを想像する能力」が発達したとき、単なる動物ではなく「ヒト」になった。死後の世界、善と悪、そして神の概念。これらは物理的には存在しないが、人間の脳内でリアルなものとして機能し始めた。この能力が、人類の文明を生み出す原動力となった。

神の存在を想定したことで、社会には秩序が生まれた。「神が見ている」という認識が、人々にルールを守らせ、共同体を築く土台となった。道徳観念や法律の源流もここにある。つまり、「神を信じる能力」こそが、人類を人類たらしめたのだ。

神は人間を生み出したし、人は神を生み出したこれは同時に起きたと言える。

神を巡る争い:宗教が生んだ戦争の歴史


歴史を振り返ると、神を巡る争いは無数に存在する。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の対立はもちろん、古代の異教徒との戦争や、宗教改革による内部対立など、神を巡る戦争が繰り返されてきた。
聖書に登場する「バベルの塔」は、神に挑んだ人間が言語をバラバラにされ、互いに意思疎通ができなくなったという話だ。これは比喩として解釈すれば、「神を信じるがゆえに、人類は分裂し、争う運命にある」ということを示していると言える。
現代においても、神を巡る争いは終わらない。特に、中東問題はその象徴だ。イスラエル(ユダヤ教)、アメリカ(キリスト教)、アラブ諸国(イスラム教)は、単なる政治的・経済的な対立だけでなく、宗教的な正義の対立を含んでいる。それぞれが「自分たちこそ神の正統な信徒である」と信じ、その信念のもとに武器を取る。
そして、この戦争の手段として使われるのが、皮肉にも人類が生み出した最も破壊的技術だ。

神の代理戦争と核の時代


人類が「神を想像する能力」を持った瞬間、ヒトになった。
だが、その「神の概念」を巡る争いが、人類を滅ぼすかもしれない現実がある。かつての宗教戦争は剣や銃で行われたが、今は核兵器という「神の裁き級」の武器が存在する。

核保有国の多くは宗教的バックボーンを持つ。
- アメリカ 🇺🇸(キリスト教)
- イスラエル 🇮🇱(ユダヤ教)
- パキスタン 🇵🇰(イスラム教)
- インド 🇮🇳(ヒンドゥー教)
- ロシア 🇷🇺(ロシア正教)

これらの国々は、宗教と密接に結びついた国家アイデンティティを持ち、核戦争のリスクを孕んでいる。

「神の名のもとに戦う者たちが、神の力に匹敵する兵器を持っている」という状況は、冷静に考えると非常に皮肉だ。もしも「神を巡る対立」が原因で核戦争が勃発すれば、神を想像できる能力を持つ種族は、自らの信じる神によって滅ぼされることになる。

まるで、物語のプロットのように、人類の歴史は「神が始め、神が終わらせる」という結末に向かっているようにも見える。

人類の物語:神が始まり、神が終わらせる



こう考えると、人類の歴史は一つの壮大なストーリーのように見えてくる。

神を想像できる能力を持った瞬間、人は人類になった
神を巡る争いの中で、文明は発展し、同時に分裂し続けた
そして、神の名のもとに戦い続けた結果、人類は滅亡する

もしかすると、「神とは何か?」という問いに対する答えは、「神とは人類そのものだった」という結論に至るのかもしれない。人類は、自らが生み出した概念(神)に導かれ、進化し、文化を築いた。しかし、その概念が争いの火種となり、最終的に人類を滅ぼすとしたら、壮大なパラドックスであり、究極のアイロニーだ。

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