正しさとは、迷い・疑い・逡巡の中にこそ宿る。確信に満ちた「正義」は思考停止の産物であり、歴史の中で致命的な隔絶を生むのはそれだ。

自分の正当性を信じきった瞬間、人は変化の可能性を閉ざす。だが一方で、人は迷い続けるだけでは動けない。だからこそ必要なのは「今はこれが正しいと信じて進む、しかし間違いに気づいたら変える覚悟を持つ」という態度である。
正しさとは断言や広めるものではなく、問い続け、選び続ける過程に宿るかりそめの光跡だ。
それを抱えながら進む姿勢こそ、知性であり誠実なのだろう。

「我々は問い続けることによってのみ、哲学者であり続ける」とヤスパースは言った。全ての光と手触りと形を問う0歳児の手つきはきっと、哲学者のそれだ。