ピアスを買おうと雨屋横丁を歩くが素敵なものは見つからなかった。
それでも、駅前で昔客演した劇団の主宰にばったり会って、「『月面喜劇』よかったよ。」などと告げられたり、親戚の兄ちゃんにばったり会って近況を報告すると「まあ、沈んだら、浮くから。」などと述べられたり、世の中は素敵な事象に満ちているようだ。

 そういえば、その昔付き合っていた人とこの道を歩いたことがある。
鳥のように鋭く大きい目がえらくかわいい女の子だった。あの時も、繋いだてのひらが離れることは想像できていなかった。

 思うに、期待するなんてのはひどく利己的な行為なのかもしれない。
 それ故に離れていってしまった人たちへのもうしわけなさを考えるとおなかはいっぱいになるけれど、ありがとうと、ごめんなさいは山のように在るけれど、どれも、告げることを許さない。だから、心にコンパスの針で刻んだ。

 鉄火丼400円の店が在って、以前、ひどくまずい鉄火丼を食べさせられたのを思い出した。新装開店したというので入ってみるが、やっぱりまずかった。米がべちゃべちゃだった。

 一人で歩くと気持ちがとても冷静になる。右半分の分、視界が広がったような気がする。晴れ間と翳りの絶妙なコントラストに気がついたり、思い出せないほど記憶の奥にあった歌のフレーズを思い返せたりしている。コンパスの針でできた傷口から赤い血がどこかの細胞に流れている。言い足りなかった言葉や言えなかった言葉や今更になって思いついた言葉がどばどば溢れている。放っておくと揮発しちゃうからなんとかしなくちゃ。なんとかしなくちゃ。何をすればいいかは分かっているつもりだ。
 
 この先も筆を執り続けることだ。
 言葉が分泌を終えないうちにね、文筆をさ、再開させんだ。(なんちゃって)

 押忍