6月終わりに引っ越します。
住めば都ってほんとうで、二、三年住めば高幡不動も最高の街に思える。

引っ越すとしたら多分また京王線沿線。通勤が楽だからね。

あんず村や四八天丼やカラオケミッキーやあの病的なくらいに「ありがとうございます」が多いサンクスのおばちゃんや地獄のように急な坂道すら、本当に愛おしく思える。

惜しくない別れなんてない。

別れってなんだろうということを考えると、「関係が変わる」ということのひとつのケース。
人間同士だったら、「恋人」は別れて「他人」や「友人」に。「同級生」が「他校の友人」に。「生者同士」が「生者と死者」に。

本当はただそれだけ。
感傷は自分のものじゃなくなるという幻痛のようなもの。


「住んでいる町の風景」とはもう少ししたらお別れ。「住んでいた町の風景」に関係が変わる。
もういくつ町を手放したかは知れないが、大丈夫。うまくやれる。


移ろって変われるということはとても希望のあることだ。ただ不安や感傷が伴うんだ。体も心も水でできている。どうにだって成れる。望むように。

鰰の公演ももうじき終わり。いまごろ出演者のみなさんは名残を感じているんだろうか。

残りステージも振り絞ってくれると思います。ほんとおすすめできる公演。


http://hatahata.sitemix.jp/