ピアノの音の形容し難い美しさと同じくらい雑音が好きだ。
(ちなみに、中原昌也より渋谷慶一郎のほうが好きだ。この一年はametsubばかり聴いていた。)

やさしい雑音はきいていてあたたかくて気持ちいい。

古いレコードの雑音なんか最高だ。雑音すら演奏の一部かと思うくらいだ。
(ハードオフ行ったらアナログタンテが地獄のように安くてびっくりした。少し購入を考えている。)

殊美しさに於いていうなら

ものは劣化してこそ価値だな
記憶も風化してこその価値だ
気持ちはうごついてこその価値だし
いのちも死に行ってこその価値だな、と
そんな風に思えるのは、いままでにたくさんのものが自分の中から揮発していくたびに、もの悲しさと、それに付随するきらきらしたものを感じてこれたからだと思う。

年齢を重ねるたびに、レコードの音みたいに雑音が混ざっていって、どんどんゆるくなって、優しくなっていけるんならうれしい。
そのためには、もっともっと美しいものを見聞きしたらいいんじゃねーかな。

秋は感傷を伴うけど、なにかときれいな季節よ。
散歩だな。散歩。