空気は澄んでいても日陰が続いて、冷え切った冬の道を真っ直ぐ歩く。時計を忘れたのは幸い。針に急き立てられることもない休日です。ひげを剃るのは怠ったけれど暖かくなったあとで床屋にでも行こうか。非の打ちようのない晴天はだんだんと色味を増して来ている。

さて、昼食は何を食べようか。知らない町の知らない店を思う。うまかろうがまずかろうが話のタネができればそれでいいし、どうせひとに伝えるときはユーモアでふんだんに修飾。味わったり味つけたり舌というのは実に見事な組織ですな。
「いやほんとそうですね」とでも言うように、お腹が、相槌を打つ。

建ち並んだビルの所為で道は冷たいまま続いて、可哀想に痩せた街路樹が凍えながら揺れる。
ただ、例年より低い気温に感傷すら凍てついて、湿っぽい気分を浮かばせるのは億劫だ。

喫茶店の窓際では誰もが悠々と煙草を喫って、柔らかい席の上で好きな文字を読んでいる。
すれ違うバスの中では老人が歓談。花屋の軒では女の子が空を見ている。
この町はやわらかい祝福の中にある、そう視えたら俺もそこにいる。背負う荷の少なさが心許ないなんて、贅沢な感覚だ。
帰るころには両手はふさがっているだろうし。

もう少ししたら陽も入るだろう。樹木が喜べばもっといい時間になる。
凍りついていた感傷が芽を吹いたとしても、揮発するまで公園で音楽でも聴いていればいい。

昼食は何を食べようか。選択肢が無限だということがつまり最高だ。相談すべきはふところだけ。日向があればおにぎりだっていい。

もうすぐ陽光が差し込む。
この町に最高の時間がやってくる。最高の時間を見せたい人を、連れてくるための文句はどこかに落ちてないものかと、考えてみては気恥ずかしくなる。