image


写真は通りすがりのキッズと俺。

子供はいないし、結婚のめどなんてないんだけど、後世に何を残すかってことをたまに考える。ネット上で見聞きする20歳前後のひとたちの考えかたとか、けっこうびっくりする。そして、自分の頃より確実に生きづらそうな考えかただなって思う。

1、ほとんどは二元論で片付かない

昨今は、集団的自衛権。あるいは原発の稼働について。どっちが正しい、間違ってるって話じゃない。どちらの立場にも正当性はあってお互いがロジックで屈服させようとしてもしょうがないだろって話。相手の主張の正当性を認めた上で、じゃあどこが折り合いかってことなんじゃないの?って話。個人的には集団的自衛権には反対だし原発にも反対。だけど賛成派の主張や危惧も分かるつもりなので、その点をうまいこと受け止めつつの反対ってやり方がベターで、「とにかく反対!頭ごなしに反対!」って考えかたはちょっと乱暴なんじゃないの?冷静に見れてる?とか思う。
ソーシャル上で友人から反対意見の記事はシェアでいっぱいまわってくるけど、賛成意見の主張をちゃんと把握しているかどうかは疑わしい。俺とあいつの最小公倍数がどこらへんにあるのかって考え方で関係性や社会を作らないと、なにがどうなってもきっと生きづらい。

2、何歳で何をやってもいい

今月からシェアハウスに住むんだけど、その話を人にしたところ「大丈夫ですか?」と聞かれ、質問の意味を分かり兼ねていたら「30過ぎてシェアハウスって大丈夫ですか?」という質問だった。なんて生きづらい考えかたの人なんだろうって思った。状況によったら50でもシェアハウスだし、面白そうだったら60でもシェアハウスだ。
Mちゃんが英語を勉強しようと思ってる旨を友人に話したところ「今さら英語やるの?」と言われたそうだ。その「今さら」の部分が分からないという話をされたが俺も分からなかった。
結婚なんてまさにそれで、30未婚女子は「行き遅れ」なんて言われたりする。

思うに原因は終身雇用思想で、もうそんなんとっくに崩壊してんだから考え方もアップデートしないといけないと思うんだ。やりたいことをやりたいときにやれる社会が理想だな。

3、敵つくっても大丈夫

望む望まざるに関わらず、敵はできる。でもやりたいことを好き勝手やってたら、最終的に嫌われてしまいましたってなっても、まあしょうがないんじゃないかなって思う。自分のいたらなさでそうなっちゃったら素直に謝ることだけ謝るべきとは思うんだけど、曲げたくないこと曲げちゃだめかなって。いままでけっこう曲げまくっちゃった点は反省してる。

頭の凝りかたまった人からは俺なんか、理想論ばっかいってねーで現実みろよ、みたいなかんじなのかな。でも、理想は声高に語るもんだ。
声高に語るべく理想を持たない奴が人の親になれるのかは甚だ疑問だ。
それすらできない社会なんて環境としてはゴミなので、変えるか出るかしかない。

まあ、こんな話を、自分のガキにちゃんとしてあげられる大人になりたいなーって思ってる。

このテーマの話はその他もありそうなので、また改めて。