僕の記憶の限り、90年代のインターネットはある種の専門知識に長けた人のためのものだった。
90年代後半、windows98でのダイアルアップ接続。このphaseは「オタク層」への浸透で、一般家庭への普及とは言いがたいものだった。その当時僕自身はPC9821でMSDOSプロンプトをせっせと叩いて先輩からもらった「野々村病院の人々」とか「下級生」といった美少女ゲームに勤しんでいたのだが、今にして思えばC言語くらい着手しておけばよかった。

WEBサイトを設置するというのが一般的になり始めたのは、99年頃のホームページビルダーの活躍からだと伺える。当時はwindows2000の頃。回線はISDNだった。ホームページといえば一部の趣味人が自分のコレクションや考察をアーカイブするためのものだったように思う。99ねんから2002年くらいまで、僕は大学のPCで日がな一日ネットをし、だんだんhtmlをいじるようになった。

15年が経った今、twitter、SNS、ブログその他有象無象を使って、誰しもが専門知識もなく自己主張できるようになった。己の哲学を、寝ながら、思いついた数秒後に、何なら匿名で世界中に投下できる。回線の向こう側は自己主張でいっぱいだ。正当性やら共感を得ようとしている風なのも糞のように多い。なんていうか、考えを述べるときにフィルタリングされないってことに危機感を感じていて。

思ったことを次の瞬間にパブリックなものにすることで、世の中には洗練されないままの主張が跋扈する。伝えるべき相手に、伝えるべき言葉遣いで、伝えるべきフォーマットでコンタクトすることが、今後より価値を持っていくように思う。

(そんな考えからか、最近特にチラシの作成依頼に対して、印刷業者を重視するようになった。
こだわってしかるべきポイントにこだわらないデザイナーの多さを知っているから、そこにこだわるだけで差別化ができようと。)

日本の政局に対しての意見は連日タイムラインを埋め尽くしている。
どちら側の主張も、糞みたいなのが目立つようになった。もはや感情論なんだろうなって。本当に冷静な奴は声高に主張すべき場所をインターネットに求めない。(もし求めてもそれ相応の方式を採る)そう思うんだ。

とはいえ、烏合の囀りは今後いっそうにけたたましくなるだろう。
耳を塞ぎ、口を噤むことはいっそう価値を持つだろう。
今日も沢山の言葉を飲み込んだれど、溢れてしまう言葉だけこのブログに書いていこう。